旧ユーゴの旅14 – ドブロブニク出発

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10月15日、次の目的地ボスニア・ヘルツェゴビナの「モスタル」へ移動するために、国際バスターミナルへ。ホテルのチェックアウトは10時頃であったが、バスは15時とかなり時間があったため、皆で相談し、ホテルから歩いてバスターミナルに向かうことにした。天気は生憎の曇り。特に写真を撮ることもなく、物思いに耽りながらブラブラと。

バスターミナルに到着し、切符を準備すると後は何もすることが無い。ただぼーっとしているのも辛いので近くのレストランへ。それぞれビールを注文し、のんびりと時間を過ごす。店内には、先客のグループと白人の女性、そして髪を短く刈り込んだ体格のゴッツイおじさんが1名。14時過ぎにバスターミナルに戻り、トイレを済ましてモスタル行きのバスを待つ。ところが、15時を過ぎてもバスは現れない。10分15分と時間が過ぎる。憧れの街モスタルまであと少しなのに。そうしている内に、レストランにいた白人のおじさんが、イトー奥さんにタバコの火を借りにきた。ついでなので、そのオジサンに「モスタル行きのバスを待っているんですか?」と聞いてみた。すると「そうだよ」と。
「僕らはモスタルで降りるんですが、あなたはどちらまで?」
「俺もモスタルに行くんだよ。ほら、ここが今日泊まるホテル」
「あ、僕らが泊まるホテルに近いですね。ところであなたはどちらから?」
「サンフランシスコから。アメリカ人だよ」

バスは1時間半遅れてターミナルへ到着。スーツケースは別途料金がかかるため、必要な額を支払いタグを付けてもらう。バスに乗り込むと異邦人である私の隣の席はなかなか埋まらない。すると「ヘーイ、ここあいてるかい?」とさっきのオジサンが。

オジサンの名前はロバート。元銀行員で、在職時の知識を活かして不動産に投資し、家賃収入で生活しているそうだ。いろいろ話している内に、ユーゴ崩壊とそれに伴う民族紛争に興味があってバルカンを旅していることがわかった。

 

【ドブロブニク国際線バスターミナル】

  • トイレは2クーナ(清潔)
  • 両替所あり
  • 正面にカフェが2件あり
  • すぐ近くにスーパーマーケットKONZUMあり
  • 荷物をバスのトランクに預ける場合7クーナ(曖昧)くらい必要


多忙につき

 

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最近いそがしく、なかなか旅ブログの続きが書けません。早くサラエボのことを書きたいのですが。とりあえず写真を1枚。サラエボの旧市街「バシチャルシァ」で撮りました。

日本を取り巻く状況が劇的に変化しています。できれば今年も写真の旅に出たいのですが、それも状況次第ですね。

一応ですが、ブログに掲載している写真は著作権で保護されています。無断で使用されますと……。
Photos are copyrighted pieces.  PLS do not use them without my permission. Thank you.


旧ユーゴの旅13 – ドブロブニク滞在

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滞在2日目。ホテルから旧市街まではバスで20分ほど。バス停の近くのキオスクで切符を買いバスに乗車。バスには、観光客に加え地元の学生さんも多く乗車しているので車内は混雑している。近くに立っていた若い女性らは、大きなリュックを抱える私を鬱陶しく思ったのか、バスが揺れる度に憮然とした表情を浮かべる。いやはや、申し訳ない。

旧市街エリアに入ったあたりで勘を頼りに降車。んー、素晴らしい眺めだ。天気も最高。写真を撮りながら、長い階段を下り旧市街の正門へ。荘厳である。写真に見られる青いプレートは民宿を表すもので、意識していなくてもあちこちで目にする。

正門をくぐって旧市街の中へ入ると映画のような街が。オレンジ色の瓦屋根。白っぽい石造りの壁。深緑の雨戸が鮮やかに映る。そのまま適当なカフェに入ってビールで乾杯といきたいところだが、まず我々が向かうべきはコインランドリー。実は、洗濯物をかなり溜め込んでいたのである。

コインランドリーは旧市街の北西、プロチェ門のすぐそばだが、ちょっと分かりにくいので一番下にGoogle Mapを。

溜まった洗濯物を洗濯機に放り込みお金を入れて洗濯スタート。洗いは30分くらいなので、ビールでも飲みながら待つことに。ちょうどすぐ近くに我らがスーパーKONZUMがあったのでOzujskoビールを購入。外でプシュッと開けまして、晴天の空の下ドブロブニクにて乾杯。気分よろしね。3人でグダグダ話しをして適当に時間を潰す。そんな中、ふと近くの建物に目をやると壁面に弾丸の跡が。街は綺麗に修復されていはいるが、ここも20年ほど前は戦場。Wikiによると、1991年から92年の7ヶ月間、セルビア・モンテネグロの軍隊(ユーゴスラビア人民軍)の砲撃で甚大な被害を被ったのだそうだ。

洗い上がった洗濯物の乾燥は1時間ほど。小さな街をざっと見て回るには調度良い。それにしても美しい街である。美しいがゆえに観光客がいっぱい。中韓の団体ツアー客も目立つ。日本人と覚しき人も時々見かけるが、ほとんどが個人旅行。何かプロモーションに違いがあるのだろうか。それはさて置き、この観光客の多さは予想外だった。ドブロブニクは、もっと静かで海を見ながらボケーっとする場所だと思い込んでいたので、観光客の喧騒に負けじと一段ギアを上げるべくOzujskoビールで乾杯。

【INFO】
ドブロブニクのコインランドリー


旧ユーゴの旅12 – ドブロブニクへ

時間が前後して恐縮です。

iPhone事件勃発前は、プリトヴィツェからスプリットに向かう予定だった。しかし、午前10時半からスプリットに向かって中途半端な一日を過ごすよりも、飛行機で一気にドブロブニクまで行ったほうが良さそうだったので、「Croatia Airlines」のWebサイトで国内線を予約。チケットは最安で7,000円前後。昼の便は10,000円くらいだった。予約コードが割り振られるが、特に何かをプリントアウトする必要もなく、当日窓口でパスポートを提示すると問題なく搭乗できた。
※EチケットはWebで予約するときの情報が全てなので、スペルのミス等にはお気をつけを。

当初は1泊のみの予定だったザグレブの宿「Heart of the city」に結局3日間もお世話になり、旅慣れていない3人のわがままで管理人のアナさんには迷惑をかけしてしまった。宿は若者向けのいわゆるドミトリータイプだが、オフシーズンだったので貸し切り状態。宿の風呂にあったアボカドの油を使ったボディーソープ、日本でも売ってないかな。

宿を出発してからiPhoneを受取りビールで乾杯、までが前回の記事。その後、バスターミナルから空港行きのバスに乗車。ザグレブの中心地からは1時間くらいだったと思う。

空港の2階にレストランが2軒あり、特に考えもせずセルフの安そうなレストランに入ってみた。日替わり定食のような形で何種類かの料理が選べる。とりあえず牛肉のシチューを注文。サフランライスの上にシチューがかかった状態で出されるのだが、シチューの色合いが薄く正直あまり旨そうではなかった。しかし、一口食べてみるとこれが絶品。クロアチアの料理はどれも平均的に旨いのだが、このビーフシチューは日本でも食ったことのないほどの旨さ。もうサラエボには行かずにクロアチアに居ようかな、なんて思ってしまうほど。

フライトの時間になり飛行機に搭乗し無事に離陸。この辺りは順調過ぎたせいか記憶があまり無い。順調な旅は記憶に留まりにくいのかな。気が付くと飛行機は洋上に達していたようで、不意を突かれた形でアドリア海とご対面。ここが『紅の豚』の舞台か。荒涼とした山肌と海のコントラストが美しい。そんなクロアチア沿岸の風景に見とれていると、一目でドブロブニクと分かる街が眼下に。珍道中も遂にここまで来たかと感無量。程なくして飛行機は無事に着陸。送迎車が迎えに来てくれていたのでそれに乗り込んで宿へ。

チェックインを済ませ部屋へ。一同大変疲れており、この日は宿でゆっくりしようということに。とは言え、この旅にビールは欠かせないのでイトー君と近くのキオスクに買い出しに。すると、夕日が今にも沈みそうだったので、一人で海岸まで行って写真をとってみた。瀬戸内海にそっくりだ。

【INFO】
クロアチアエアライン
ホステル ハート オブ ザ シティー


旧ユーゴの旅11 – ザグレブiPhone事件

※今回は写真が多くてすみません。

プリトヴィツェからザグレブに戻り、夜の街をぶらぶらと歩きながら宿へ。途中スーパーマーケット「KOMZUM」で食料と酒を。惣菜コーナーに足を運ぶと、女性の店員さんが応対してくれて、旨そうな肉塊を切り分けてタッパーに詰めてくれた。笑顔が素敵な人だった。

宿に戻り夕食を取り始めるとイトー君が「あれー、iPhoneどこいったっけ」と。ズボンのポケット、リュック、宿のロッカー、どこを探しても無い。無い。無い…。まずい。幸い「iPhoneを探す」機能を有効にしているとのことで、ラップトップで探せる可能性が。早速、イトーくんのアカウントでiCloud.comにアクセス。「iPhoneを探す」をクリックするとザグレブの広域地図が。良かった。一応このエリアにはあるようだ。程なく、ピンがザグレブのバスステーション付近にドロップ。バスの中か、あるいはバス会社の事務所か。念のため、画面の地図をスクリーンショットに収め自分のiPhoneに転送。その後すぐに3人でバスターミナルへ。確か22時ごろだったと思う。

歩いて20分ほどでターミナルに到着。足早に窓口に向かい係の人に要件を伝えると、どこからのバスで何時頃にザグレブに到着したのか聞かれたので、17時頃プリトヴィツェからの乗車でザグレブには21時ごろに着いたと説明。念のため、「iPhoneを探す」のスクリーンショットを見せ、この付近にあることは確かであることを伝えた。係の人は一切表情を変えることなく、到着電話の受話器を取りどこかに問い合わせを始めた。程なくして「今のところ事務所には届いていないようです。該当のバスの運転手は既に帰宅しているので、明日の朝10:30にバスの前で待っていてください。ナンバーはXXXXです」と。すぐ近くにiPhoneがあるのになんだかもどかしいが、これ以上ここに居ても仕方がないので、バスの正確な位置を確認してから帰ることに。

表に出てバスの駐車場に向かうと、該当のバスは出入口のすぐ近くに駐車されていたのですぐに発見できた。バスの特徴が自分の記憶と異なっていることに驚く。人間のイメージ記憶なんてあまり当てにならない。ともあれ、明日の朝10時半にここにくればiPhoneがイトー君の手に戻る。正確な場所が特定できたので、安心と言えば安心なのだが、きちんと回収するまではやはり不安である。ワンチャンスなので、念のために手紙を書いてバスのワイパーに挟んでおくことにした。

ところで、ザグレブのバスターミナル周辺は広範囲に渡って小便臭い。たぶん、近くのバーで飲んでいて、小がしたくなったら適当な場所で闇夜に紛れてシャーっとやっているのだろう。インドのタージマハール周辺ほどではないが、なかなかの臭気。息苦しさを感じつつも、バスのすぐ横で手紙をしたためる。10月のバルカンは雨が多いと聞いていたが、しばらくの間雨が降っていないのかもしれない。

翌朝、10時にバス停へ。該当のバスは昨晩のままの位置に停まっているが、ワイパーに挟んだ手紙が無い。もしや、酔っぱらいが持ち去ったか。少し不安である。相変わらず小便臭い所だが、運転手に会えるのは1回こっきりなので、ここから離れるわけにはいかない。イトー君とよもやま話しをしながら時間を潰す。そして10時半、遂に運転手が現れた。白髪交じりの渋い顔をしたおじさん。すぐに歩み寄って挨拶をし、iPhoneのことを尋ねる。すると怪訝な眼差しでこちらをじろり。朝イチで面倒事に巻き込まれ不機嫌になってしまったのだろうか。重苦しい沈黙。しかし、次の瞬間おじさん運転手が「ふっふっふー」含み笑いをしながらゆっくりとダッシュボードに手を突っ込み、ニンマリとした表情で手に掴んだものを差し出して来た。iPhoneと手紙だった。私もイトー君も思わず「おぉぉぉぉ〜!」と大声を上げてしまった。なんと、手紙を読んで事前に車内を探してくれていたのだ。さっき見せた怪訝な眼差しはおじさんの演出。クロアチア人は粋だね。おじさんに深々と頭を下げ、お礼を述べてその場を後に。その後、すぐに近くのバーに入り「Ozujsko」ビールで乾杯。iとにかく無事に回収できて本当に良かった。


旧ユーゴの旅10 – プリトヴィツェ湖群国立公園 後編

後半は滝を。

この付近の水質は石灰岩が多いらしく、レンズに飛沫がかかるとすぐに水垢のようになるので、プロテクトフィルタは必須。カメラ好きの方々は注意されたし。滝の写真はPhosohopで加工しているので、コントラストが際立った絵になっている。

プリトヴィツェ湖群国立公園はとても広く、見どころも豊富なので、ゆっくり自然を味わいたい場合は近隣に宿を取るのが望ましい。我々は翌日スプリットに向かう予定を立てていたので、プリトヴィツェには宿泊せずにザグレブに戻った。次回ここを訪れる機会に恵まれたら一泊してゆっくりぶらぶらしたい。

プリトヴィツェの自然を満喫し、帰りのバス停に向かう道すがら、ふと道端のベンチに目をやると黒いスマホが。観光客の誰かが忘れて行ったものに違いない。公園の管理事務所に届けた方が良かろうということで、イトー奥さんがスマホを拾う。少し進むと、前方から血相を変えた若い女性が人の流れに逆行しながら走ってきた。我ら3人とも直感的にこの人だろうと。イトー奥さんがその女性にスマホを差し出すと、眉毛をハの字にして「オー、センキュー!」と。旅の途中で端末を無くすと、残りの旅程が暗いものになる。無事、持ち主の元へ返すことができて良かった。

プリトヴィツェ湖群国立公園の滞在時間はおよそ4時間くらいだった。この日は特にトラブルに遭遇することもなく、無事に帰りバスにのることが出来た。夕暮れ時、バスに揺られながらクロアチアの美しい田園風景を満喫。日が暮れてからのことはあまり記憶に無い。もしかすると、疲れて寝てしまったのかも。


旧ユーゴの旅9 – プリトヴィツェ湖群国立公園 前編

プリトヴィツェ湖群国立公園には、16の湖と92の滝が存在する。あまり全景を押さえた写真がなくて残念だが、まるでファイナルファンタジーの世界に迷い込んだかのような風景。

公園のゲートでチケットを買おうとすると、スタッフのおばちゃんが「券売所はあっちですよ」と指をさす。見ると、少し離れたところに鉄骨の建物が。斜面を登り建物の中へ入ると2つほどカウンターが。先客が何グループかいたが、程なくして我々の番。チケット係の女性が「家族関係の人はいますか?」と尋ねてくる。「この2人は夫婦ですが、僕は彼らの友人です」というと、「ふーん、じゃああなたも家族ということにして、割引してあげますよ」と。何と優しい!

1991年のクロアチア独立紛争時、この地で最初の武力衝突が勃発。第二バス停の近くには最初の戦死者Josip Jović氏を称えるモニュメントが建っている。ボスニア紛争については何冊か本を読んだが、クロアチア紛争についてはあまり良く知らない。こんなに美しい場所で激しい戦闘が繰り広げられたとは。地雷もたくさん埋設されていたそうな。

湖は透明度が高く、写真のように水中の魚もはっきり見える。もしここを訪れるなら10月中旬がおすすめ。青い湖と紅葉がとても良い。

ザグレブのバスターミナルからプリトヴィツェまで3時間弱。かなりの距離だが、クロアチアに来たら必ず寄りたい観光名所。途中、ラストケ村という綺麗な小さな村に寄る案もあったのだが、時間の都合で割愛。Youtubeにラストケ村の案内動画が幾つか上がっているので是非観ていただきたい。

【INFO】
バス : ザグレブ – プリトヴィツェ湖群国立公園


旧ユーゴの旅8 – ブレッド湖

スロベニアのブレッド湖に到着。当日の朝まで快晴だったが、モヤがかかっている。雨じゃないだけマシだが、景勝地である分、写真好きの自分にとってはちょっと残念な天気。

[写真1]ブレッド湖最寄りのバス停近く。紅葉した木が綺麗。

[写真2]ブレッド湖への道すがら、煙を吐き出す建物が。ボヤだろうか。

[写真3]やっぱりヨーロッパの植物は綺麗だ。

[写真4]湖畔近くの出店。パンの大きさが尋常ではない。

[写真5]遂にブレッド湖!

ブレッド湖に着いたのは昼過ぎだったように思う。湖畔のレストラン「Grajska Plaza」で腹ごしらえ。ここは本当におすすめのレストラン。あっさりでさっぱりなのに奥深い味わいが。ブレッド湖を一望できるロケーションも最高。スタッフのMisoさんとは後にFacebookで友達になった。めちゃ良い人。イトー家もご満悦な様子で、食後はブレッド湖を散策。ヨーロッパの日差しは鋭く、撮る写真が自然とハイコントラストに。

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有名な聖マリア教会。写真だと分かりにくいが、湖に浮かぶ島に建てられた教会。15世紀の建築だ。綺麗すぎて感無量。

ブレッド湖のを楽しんだ後、16時半にバス停へ。ここでトラブルが。どうやらバスの時刻表を見間違えていたようで、当分の間バスが来ないことが発覚。参った。20時ごろの列車に乗らないとザグレブの宿まで戻れない。こうなるともうタクシーしかないのだが、目の前に停車しているのは団体専用のタクシー。最低人数は7名。人数が足りず乗れない。八方ふさがりだ。途方に暮れている内に、団体タクシーは若い女性の一団を乗せて何処かへ消えていった。

幾分か冷静さを取り戻した時にふと思った。さっきの団体タクシー、3人でも金さえ払えば乗せてくれたんじゃないか、と。しかし時既に遅し。そんなことをふと口に出すと、イトー君が「あのタクシー会社の電話番号メモってるよ」と。なに!? ならば交渉してみる価値ありだ。さっそくタクシー会社に電話。すると、さっきいたタクシーのドライバーに繋がった。
「3人ですけどリュブリャナ駅まで乗せてもらえませんか?」
「いやー、3人だと少なすぎるね」
「じゃあ、倍の金額を払います」
「よし、それなら大丈夫。別のタクシーを手配するから待ってて。10分ほどでシルバーのホンダが迎えに行くよ」
た、助かった。言ってみるもんだ。タクシーの電話番号をメモっていたイトー君、かなりのファインプレー。

しばらくすると、シルバーのホンダ車がバス停に。降りてきたのは小柄で愛想の良いおばちゃん。電話で話したタクシー運転手の奥さんだそうだ。このおばちゃん、高速に乗った途端アクセルべた踏みで、メーターは常に140km/h前後を行き来している。かなりの飛ばし屋だ。イトー君が「イエス、ホンダ!」というと、「グレート ホンダ!」と返してくる。かわいらしいおばちゃんだ。

タクシーは無事にリュブリャナ駅に到着。おばちゃんの頑張りにも関わらず、最終列車の出発時間が間近に迫る。ここから発券所に行ってで切符を買いホームに移動しなければならない。依然として間に合う保証は無い。駆け足で券売所へ。すると、先客のオジサンが係の人と話し込んでいるではないか。1分2分と時間が過ぎる。そして、ようやく自分らの番。
「ザグレブまで大人3枚!列車はいつ出ますか!?」
「あと5分よ」
ヤバイい、ヤバすぎる。急がねば。切符を受取りホームを駆け足。すると後ろから、キックボードに乗った女の子が2人、我々をチラ見しながら優雅に追い越して行くではないか。日本人の男がキックボードになんぞ負けててはいられない。「100m 11秒02の俊足ナメたらあかんで!」と心の中で絶叫しながら猛追。すると少女達も更にスピードを早める。初期のオッサン + バックパックのハンデでは分が悪い。結局息が続かずキックボード少女たちには敗北を喫した。調子に乗ってすんませんでした。

出発の一分前に何とか最終電車に。これでザグレブに帰れる。。。


海外で携帯を使うと…

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ボスニアは海外パケ放題的なサービスが対象外の国だったので、インターネットへの接続は最小限度にとどめたつもりでしたが。。。携帯の利用料金が80,000円近くになってしまいました。。。とほほ。。。旅慣れていないことがバレてしまいますね。

今月はサバイバルです!

写真はボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボ。北西の斜面から撮影しました。様々な宗教や文化が混在する見事な街並みです。


旧ユーゴスラビアの旅7 – スロベニアへ

隣国スロベニアへ遠足。早朝、ザグレブの中央駅から出発の予定が、発券所の場所が分かりにくく、一本電車をミスしてしまった。リュブリャナ (スロベニアの首都) を諦めてプリトビッツェ国立公園に向かうことも考えたが、 運良く次の電車でも日帰りでザグレブに戻って来られそうだったので、スロベニアに行くことにした。クロアチアの駅員さんは、どれだけ走っても間に合わないであろう電車を「あと3分だ急げ!」と案内する。責任回避優先の日本には無い案内の仕方だが、少しでも間に合う可能性があるならこう案内してもらった方が有り難い。間に合わなかったけど。

クロアチアとスロベニアの国境で母親から電話が。「キヤノンからコンテストに入選したって手紙が来たわー」と。このタイミングで嬉しい知らせ。人事を尽くしたら、すっかり忘れて旅に出るのが良いみたいだ。

[写真1] スロベニアは、イタリアやオーストリア、ハンガリーと国境を接していることから、旧ユーゴ時代には工業の中心地として栄えた。クロアチアも豊かな様子だったが、スロベニア領内に入るとオーストリアの田舎のような風景になる。建物は小綺麗で落ち着いたトーン。農地も手入れが行き届いている。

[写真2] スロベニアの「セヴニツァ駅」(Sevnica) で、リュブリャナ行きの電車に乗り換え。現地の発音では「センニッツァ」に聞こえる。清潔感のある小ぢんまりとした街で、単に乗り継ぎで通り過ぎるのはもったいないと思うほど。

[写真3] 飲兵衛のイトー夫妻に促されて早速の朝ビール。

[写真4 – 7] 駅周辺の様子。ヨーロッパの植物は葉が繊細でお洒落だ。

[写真8] リュブリャナ行きの電車。グラフティーが凄い。アートの一分野として認知されているのだろう。

[写真9] これまたお洒落な鉄道時計。「MOBATIME」というメーカーだそうだ。
※Wikiに関連記事があったのでリンクします → スイス鉄道時計

次回は、名所「ブレッド湖」について。