台湾

4月1日・2日に台湾の台北で行われた「Culture & Art Book Fair in Taipei」に参加した。aotofとしては初の海外ライブ。実は今年に入ってからaotofの音楽はガラッと変わり、タブラが曲調に合わなくなってしまったことからドラムを開始。まだ3ヶ月ほどしか練習していないのに海外で演奏することになろうとは…。エアドラム歴は15年ほどあるので、なんとなくは叩けるもののリズムは全く安定しない。要練習。また曲調が変わればタブラに戻ることもありうる。もちろん。

演奏は合計3回。会場の入口付近にて。結果は…現地の方々の温情もあり何とか乗り切った。先述の通りだが、持参したCDが40枚ソールドアウトになったので、初の海外遠征は一応成功と言って良いのかな。

山口一郎さんの絵も評判が良く、似顔絵コーナーでは恐らく一番長い列を作ったのではないか。似顔絵で稼いだお金で、夜ご飯を奢っていただき、画伯には毎度お世話になりっぱなしで。。。

台湾、不思議な国。日本語がかなり通じる。人も大らかで、居心地が良い。写真を撮っても絵になるし、食べ物もうまい。もちろんお茶も。今回は観光という観光はしていないので、今度ゆっくり訪れたい。香川からだと、岡山空港から飛ぶのが良いそうだ。


aotof in Taiwan

台湾
画家の山口一郎さんとaotofで台湾のブックフェアにブースを構えた。

aotofは持参したCD40枚がソールドアウト。

山口さんは、10枚中9枚が売れ、1枚を台北のBEAMSに展示する運びとなった。

サンプルとして持参したボスニアの写真集。非売品なのだが、どうしても売ってくれ、というお客さんの手に。

素直に嬉しい。

 


突撃セット2016

明日から新潟県の旧山古志村に、闘牛の様子を撮りに行ってきます。

勇猛な牛たちがどのように冬を過ごしているのかを記録しつつ酪農体験も。IT・写真・酪農の可能性を、現場の体験を通じて模索します。

興行としての闘牛は春から。戦っている様子も撮りたい。

で、張り切って冬のアイテムを新調してみました。

まずSORELのブーツ。これすごく良いですね。見た目の割に履きやすく暖かい。重量は680gで完全防水。インナーだけ抜いて洗える点も良い。ソールはマイナス40℃くらいまで耐えられるので、暖冬の新潟には完全にオーバースペックですね。

そしてCAPTAIN STAGのスコップ。これがなんとAmazonで千円ちょい。めちゃくちゃしっかりしています。くわにもなります。

他にも、mont-bellのプラズマ1000ダウンジャケットを購入。着ている感覚が無いくらい軽くてしかもかなり暖かい。こちらは高松のmont-bellにて購入。人気のアウトレット品のため在庫は欠品でしたが、スタッフの方々のお陰で、出発前に入手することができました。本当に助かりました。ありがたや。


サラエボの寿司店「SUSHI SAN」

※2014年の旅の記事が完成していませんが、特記すべき事柄は順番に関係なく挿入していきたいなと思います。

サラエボに「SUSHI SAN」というお寿司屋さんがある。長身の大将と二人のスタッフが切り盛りする素敵なお店だ。四人掛けのカンター席と、窓側に二名席。コンパクトではあるが、白を基調とした店内には清潔感が漂う。

ネタは、マグロ、サーモン、ホタテ、甘エビなど。どれも新鮮で臭みもなくとても旨い。シャリにはコシヒカリを使用。醤油も日本で口にするものと遜色ない。ガリに関しては、日本で食べるものよりも旨くて驚いた。こだわりの自家製である。アボカドを使ったニュースタンダードな巻き寿司も旨く、来店の際はぜひお試しいただきたい。

大将に「どうですか?」と聞かれたので、「とても旨くて驚いています」と言うと、ニンマリしながらペコッと頭を下げる。その仕草には実意が感じられ、ご自身の仕事に誇りを持っているんだな、と感銘を受けた。異国の地でこれ程の寿司が楽しめるのは幸せなことだ。

ところで、店名の「SUSHI SAN」であるが、「SAN」はボスニアの言葉で「dream」を意味する。つまり「夢の寿司」だ。大将の握る寿司には「夢」が込められている。

大将曰く「ワサビを育てるのに絶好の場所を見つけたんだけど、遠くてねえ」と。しかし、あのこだわり様なら、ボスニアの清流にすくすくと育つワサビを見る日もそう遠くはなさそうだ。

間でタマゴをサービスしてくれたり、「開運」の大吟醸を飲ませてもらったりと至れり尽くせり。もう一人の板前さんに「あそこへは行ったか?ここはお勧めだよ」と、PCで観光案内をしてもらったりと、日本の寿司屋さんよりも親しみやすい。

店内には秋野暢子さんのサインもあり、既に何度か来店されているとのこと。

また近いうちにサラエボに行くと思うが、その際には必ずSUSH SANを再訪したい。ボスニアの郷土料理も旨いが、和食もね。

http://www.sarajevosushi.com


Laundro Loungeというランドリー

サラエボで洗濯物に困ったら、バシチャルシアはセビリ近くの「Laundro Lounge」にGo。イギリス人のジュリエットさんが経営するランドリー。洗濯物を持参して名前と電話番号を伝えるだけで、洗いから乾燥まで全て彼女がこなしてくれる。サラエボにはコインランドリーが無いので、旅人には非常にありがたいサービスだ。費用は15KM。

LaundroLoungeの奥は、彫金・彫刻家でもあるジュリエットさんのアトリエになっている。銅やシルバー、銅と銀の合金「四分一」をベースとした作品が展示されていて、その場で購入も可能。僕はペンダントを買った。今回の旅(2015年)で唯一自分のために買った物。かなり気に入っている。

道を聞いても親切に教えてくれるので、非常に心強い!

Sculptor Juliet is originally from England, was educated in Australia and now has own studio in Sarajevo. A half of her studio is a laundry that is called “Laundro Lounge”.

It’s quite nice service for the travelers because there is no other laundries there. Also, you can ask her the local information. And off course you can buy her nice metal works on the spot. I myself bought her pendant and it became one of my favorite accessory.   Have a nice time in Sarajevo, wearing clean T-shirt!

http://laundrolounge.net/
Laundro Lounge Facebook


旧ユーゴの旅17-サラエボ2

サラエボの街の様子。日本でもおなじみのブランドZARAがある。

サラエボ滞在2日目。モスタルまで一緒だったロバートが「やあ、君の泊まっている宿に俺も泊まることにしたよ」とメールが。なんとなんと。早朝に、新しい宿泊者が来たような気配があったが、まさかロバートだったとは。ロバートは2日間サラエボに滞在し、その後、ブカレストに向かうとのこと。

起床後、ロバートと合流し朝食を摂るために近所のカフェへ。何か食べるものを注文しようとしたら飲み物しかない。サラエボのカフェはコーヒーやお茶だけを提供する店が多い。とりあえず、カプチーノを注文し目覚めの一杯。会計して店を出る時には「良い一日を!」と一声添えてくれる。南スラブ系の血を引くボスニアの人々。体が大きくてゴツイけど、なんかみんな良い人っぽい。街歩きもあまり心配しなくても良さそう。


旧ユーゴの旅16 – サラエボ1

モスタルからサラエボに到着。バスターミナルは列車の中央駅のすぐ近くにある。一行、スーツケースを受け取ると、宿に向かって歩き始めた。街にはまだ銃弾の跡が数多く残っており、その一つ一つが殺意の痕跡だと思うとゾッとした。駅から東の方に向かって歩き、旧市街のバシチャルシアを目指す。少し歩くと、少し賑やかになってきた。洋服屋や家電屋、化粧品店などが軒を連ねる。そのまま進むと、第二次世界大戦の頃から火が灯り続けるモニュメントが。さらにそのまま進むと、街の風景が一変しオリエンタルな雰囲気を帯びる。旧市街のバシチャルシアに差し掛かったようだ。バシチャルシアに入るとすぐに「ガジ・フスレヴ・ベグ・モスク」という大きなイスラム教の寺院がある。そのモスクを右に曲がると「Hotel Old Town」までもう少し。目指す宿「Kod Keme」はHotel Old Townのすぐ隣だ。

Google Mapのお陰で全然迷うこと無く無事に宿に到着。ホテルと違い、レセプションが常駐しているわけではないので玄関には常時鍵がかかっている。インターフォンで到着を知らせると解錠され中に入ることができるのだが、顔の見えない外国人と話をするのはいつも緊張する。外国人っていうか、この場合、僕らが外国人なんだけど。

インターフォンを押すと綺麗な発音の英語で到着を歓迎してくれた。玄関が解錠され中に入ると、程なくして二階からから上品なマダムがニコニコしながら降りてきた。抑揚の付いたゆっくりとした口調で「こんにちは!ようこそ!」と。この宿を経営するネルミナさんだ。「ボスニア人」は無口で殺伐としていると思っていたので、彼女の温かい歓迎には本当に驚いた。それでも、明るいのはこの人だけで、街の人は殺伐としているのかもしれない。そんな疑念が拭い去れず、ここでイト家と別れるのが心細かった。

ひと通り挨拶を済ませると「あなたの友達は、今日日本に帰るのよね。もし良かったら、ここに荷物を置いて時間まで街を散策して来たらどう?」と。なんとありがたい。鍵を受け取って早速街に繰り出すことに。

イト家と過ごすのは後3時間くらい。とりあえず、旧市街バシチャルシアのランドマーク「セビリ」という水飲み場へ。旅行シーズンも終わりに差し掛かっていて、人通りはそれほど多くない。そのまま、北に向かい丘を登ると広い墓地があった。来た道を振り返ると少し街が見下ろせるようになっていて、目の前に広がる風景の美しさに息を飲んだ。そここから住宅地を縫うように歩き坂を下って元の場所へ。建築家のイト君は、これまに無い建物のデザインに興味津々で写真を撮りまくっていた。

まだ時間に余裕があったが、早めに食事を取ってゆっくりすることに。繁華街に向かい適当な店に入ると、ピザとローカルビールを注文。「サラエボ、なんか良さそうだよね」とイト君。彼らはクロアチアを旅することが目的で、サラエボに来たのは僕のワガママに付き合ってくれたから。自分自身もサラエボがどんなところか写真や映像でしか知らなかったし、ローカルの人々の性格なんて知る由もなく、みんなを連れてくることに不安があったが、気に入ってくれたようで安心した。

いよいよイト家と別れの時。宿に戻るとネルミナさんがタクシーを読んでくれるとのこと。長いフライトになるだろうから、とシャワーも勧めてくれた。泊まってもいないのになんて親切なんだ。

タクシーは間もなくやってきた。陽気な女性のドライバーで、大きな荷物も手際よく乗せてくれた。日本での再会を約束しタクシーは彼らを乗せて空港へ。

さて、ここから2日間一人行動になる。内心不安だったが、早速街歩きに繰り出した。まずはツインタワービルを目指して街の中心部へ。徒歩20分くらいだろうか。繁華街を抜けると、近代的で歪な形の豪華なショッピング施設「Sarajevo City Center」が。街をゆく古いトラムとのコントラストが印象的だった。Sarajevo City Centerの西側には、政府の庁舎ビルがある。紛争で傷ついていたビルも綺麗に修復されている。

庁舎ビルの北にはホリデイ・インホテルが。紛争中も営業を続け、世界中のジャーナリストがここから世界に向かって情報を配信した。ホテルの南側側面は最前線に面しており砲撃でめちゃくちゃに破壊されたという。

ホリデイ・インの東側にはツインタワービルが。こちらも見事に修復され、現在はオフィスビルとして使われているようだ。ざっと写真を撮り、暗くならない内に宿に戻ることに。

サラエボに来て初めて本物のアザーンを聞いた。


旧ユーゴの旅15 – モスタル

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ドブロブニクからモスタルまでは3時間。国境でパスポート審査を済ませボスニアへ。その後すぐにネウムのサービスエリアに停車。モスタルに着くのが20時を越えそうだったので、一応パンを買っておいた。そのままボスニア領内を走行するのかと思いきや、バスは再びクロアチアへ。当然のことながら、国境を越えるたびにパスポートにはスタンプが捺されてゆく。そしてまたボスニアへ。スタンプだらけだ。

ボスニアに入ると、街のトーンが暗くなった。学生時代に、ドイツからチェコに入った時のことを思い出した。ボスニアは復興が遅れているようだ。ロバートはiPhoneでリック・スティーブスという有名な旅人の音声ガイドを聞いている。「これ良いから、Wi-FiをキャッチしたらDLすると良いよ」とのこと。

しばらくすると、遠くの山の上にライトアップされた十字架が見てきた。モスタルに住むクロアチア系住民のモニュメントだ。写真や映像でしか見たことのなかった世界遺産「スタリ・モスト」(Stari most / 古い橋)までもう少しだと思うと興奮した。

バスはモスタルの市街地へ。街は暗く、戦闘で傷ついた建物が目立つ。これまで巡った都市との違いに驚く。間もなくバスはターミナルに到着。時間は20時近くだったと思う。ターミナルは比較的大きな建物だが、共産主義的な無機質なデザインで雰囲気が少し重苦しい。

一行、ホテルを目指してすぐ前のりを右へ。少し雨が降ったのか路面がしっとりしていた。ホテルは市の中心。ところが、歩けば歩くほど街は暗くなる。不思議に思い、一行立ち止まってガイドブックで位置を確認。どうやら反対方向に進んでいるようだ。

ここで事件。後ろから歩いてきていた地元の若者らが我々を邪魔に思ったようで、ブロークンな英語で我々を怒鳴り付け、イト君のスーツケースを突き飛ばした。一瞬、面倒なことになったなと思ったが、若者らはそのまま肩で風を切って夜の闇に消えていった。大きなトラブルに発展しなくて良かった。

※主観ですが、夜のモスタルは治安があまり良くなさそうでした。実際に、旅行者が暴行を受けたという報告もあるので、暗くなってからの外出は控えた方が良さそうです。

気を取り直して来た道を引き返し、バスターミナルに戻ると、宿の客引きの女性がきれいなアクセントの英語で話しかけてきた。既に泊まるところは決めてあると告げると残念そうな顔をしたが、「あなた達の宿はあっちよ」と大まかな方向を教えてくれた。さらに、「旧市街の石畳はかなりボコボコしているから、スーツケースを引いて歩くのは難しいかもしれないわね」と注意もしてくれた。

スタリ・モストはバス停から左の方向。橋の掛かるネトレヴァ川は、バス停の前の通りに平行して流れているので、川から離れないように気をつけながら、できるだけ明るい道を選んで歩いた。先ほどに比べると人通りは多いものの、街の雰囲気はどんよりしている。カフェや民家の軒下から立ち込めるタバコの煙のせいだろうか。2010年の時点でボスニアの失業率は約43%とのこと。厳しい現実が日没後の街に暗い影を落とすのかもしれない。

しばらく歩くと周囲の雰囲気が一変。ゴツゴツした石畳に東洋的なの雰囲気漂う洒落た建物。旧市街に入ったようだ。客引きの女性の言うとおり、石畳はかなりボコボコしていて、スーツケースのタイヤは役に立たない。スタリ・モストまであと100mほどだが、重たいスーツケースを持って歩くのは骨が折れる。石畳を迂回する道もあるようだ。

額に汗が滲んできたころ、パッと開けた家屋の先に見事なアーチ状の橋が目に飛び込んできた。スタリ・モストだ。遂にここまでやってきた。

つづく。

【INFO】 モスタルのバス停から、スタリ・モスト(Stari Most,「古い橋」) までの道のり
徒歩17分 / 1.4km