井上真輔写真展 「TRAINING DAYS IN BOSNIA AND HERZEGOVINA」

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写真展「TRAINING DAYS IN BOSNIA AND HERZEGOVINA」が開催されることになりました。

2016年11月に渡航した時に撮った写真を中心に展示します。

以下は、展示会場である Marute Galleryさんに書いて頂いた紹介文です。

お時間がございましたらぜひお越しください。

 

2014年より、毎年ボスニア・ヘルツェゴビナに渡航し、そこにある風景、街、人々のリアルな日常を記録してきた、香川在住の写真家・井上真輔の初個展です。

ボスニア紛争終結からおよそ20年。
近代史上最も長い包囲戦を生き抜いた人々はいま、何を思い、どのように生きているのか。

井上は昨年11月、サラエボ在住の著名な写真家Ziyah Gafić 氏(http://www.ziyahgafic.ba/)のアトリエに約1ヶ月間滞在しながら、街の様子や人々の生活ぶりを記録しました。
そこには、停滞する復興、失業、汚職・・・様々な問題や矛盾を抱えつつも、日常を穏やかに過ごす人々の群像がありました。

今回は、主にその滞在中に撮影した作品を展示・販売いたします。

*2/19(日)にはギャラリートークを行います。
写真のこと、旅のこと、ボスニアの現状について etc.
スライドを見ながら深く掘り下げます。
どなたでもお気軽にご参加ください。

|EXHIBITION|

井上真輔写真展
“TRAINING DAYS IN BOSNIA AND HERZEGOVINA”

[日時]2017.2.11(sati)- 2.20(mon)※2/15休廊
[時間]13:00-19:00/土日11:00-19:00
[会場]MARÜTE GALLERY
[入場料]無料

|EVENT|

ギャラリートーク

[日時]2017.2.19(sun)18:00〜
[会場]MARÜTE GALLERY
[参加費]500円(ドリンク付)


サラエボの寿司店「SUSHI SAN」

※2014年の旅の記事が完成していませんが、特記すべき事柄は順番に関係なく挿入していきたいなと思います。

サラエボに「SUSHI SAN」というお寿司屋さんがある。長身の大将と二人のスタッフが切り盛りする素敵なお店だ。四人掛けのカンター席と、窓側に二名席。コンパクトではあるが、白を基調とした店内には清潔感が漂う。

ネタは、マグロ、サーモン、ホタテ、甘エビなど。どれも新鮮で臭みもなくとても旨い。シャリにはコシヒカリを使用。醤油も日本で口にするものと遜色ない。ガリに関しては、日本で食べるものよりも旨くて驚いた。こだわりの自家製である。アボカドを使ったニュースタンダードな巻き寿司も旨く、来店の際はぜひお試しいただきたい。

大将に「どうですか?」と聞かれたので、「とても旨くて驚いています」と言うと、ニンマリしながらペコッと頭を下げる。その仕草には実意が感じられ、ご自身の仕事に誇りを持っているんだな、と感銘を受けた。異国の地でこれ程の寿司が楽しめるのは幸せなことだ。

ところで、店名の「SUSHI SAN」であるが、「SAN」はボスニアの言葉で「dream」を意味する。つまり「夢の寿司」だ。大将の握る寿司には「夢」が込められている。

大将曰く「ワサビを育てるのに絶好の場所を見つけたんだけど、遠くてねえ」と。しかし、あのこだわり様なら、ボスニアの清流にすくすくと育つワサビを見る日もそう遠くはなさそうだ。

間でタマゴをサービスしてくれたり、「開運」の大吟醸を飲ませてもらったりと至れり尽くせり。もう一人の板前さんに「あそこへは行ったか?ここはお勧めだよ」と、PCで観光案内をしてもらったりと、日本の寿司屋さんよりも親しみやすい。

店内には秋野暢子さんのサインもあり、既に何度か来店されているとのこと。

また近いうちにサラエボに行くと思うが、その際には必ずSUSH SANを再訪したい。ボスニアの郷土料理も旨いが、和食もね。

http://www.sarajevosushi.com


Laundro Loungeというランドリー

サラエボで洗濯物に困ったら、バシチャルシアはセビリ近くの「Laundro Lounge」にGo。イギリス人のジュリエットさんが経営するランドリー。洗濯物を持参して名前と電話番号を伝えるだけで、洗いから乾燥まで全て彼女がこなしてくれる。サラエボにはコインランドリーが無いので、旅人には非常にありがたいサービスだ。費用は15KM。

LaundroLoungeの奥は、彫金・彫刻家でもあるジュリエットさんのアトリエになっている。銅やシルバー、銅と銀の合金「四分一」をベースとした作品が展示されていて、その場で購入も可能。僕はペンダントを買った。今回の旅(2015年)で唯一自分のために買った物。かなり気に入っている。

道を聞いても親切に教えてくれるので、非常に心強い!

Sculptor Juliet is originally from England, was educated in Australia and now has own studio in Sarajevo. A half of her studio is a laundry that is called “Laundro Lounge”.

It’s quite nice service for the travelers because there is no other laundries there. Also, you can ask her the local information. And off course you can buy her nice metal works on the spot. I myself bought her pendant and it became one of my favorite accessory.   Have a nice time in Sarajevo, wearing clean T-shirt!

http://laundrolounge.net/
Laundro Lounge Facebook


旧ユーゴの旅17-サラエボ2

サラエボの街の様子。日本でもおなじみのブランドZARAがある。

サラエボ滞在2日目。モスタルまで一緒だったロバートが「やあ、君の泊まっている宿に俺も泊まることにしたよ」とメールが。なんとなんと。早朝に、新しい宿泊者が来たような気配があったが、まさかロバートだったとは。ロバートは2日間サラエボに滞在し、その後、ブカレストに向かうとのこと。

起床後、ロバートと合流し朝食を摂るために近所のカフェへ。何か食べるものを注文しようとしたら飲み物しかない。サラエボのカフェはコーヒーやお茶だけを提供する店が多い。とりあえず、カプチーノを注文し目覚めの一杯。会計して店を出る時には「良い一日を!」と一声添えてくれる。南スラブ系の血を引くボスニアの人々。体が大きくてゴツイけど、なんかみんな良い人っぽい。街歩きもあまり心配しなくても良さそう。


旧ユーゴの旅16 – サラエボ1

モスタルからサラエボに到着。バスターミナルは列車の中央駅のすぐ近くにある。一行、スーツケースを受け取ると、宿に向かって歩き始めた。街にはまだ銃弾の跡が数多く残っており、その一つ一つが殺意の痕跡だと思うとゾッとした。駅から東の方に向かって歩き、旧市街のバシチャルシアを目指す。少し歩くと、少し賑やかになってきた。洋服屋や家電屋、化粧品店などが軒を連ねる。そのまま進むと、第二次世界大戦の頃から火が灯り続けるモニュメントが。さらにそのまま進むと、街の風景が一変しオリエンタルな雰囲気を帯びる。旧市街のバシチャルシアに差し掛かったようだ。バシチャルシアに入るとすぐに「ガジ・フスレヴ・ベグ・モスク」という大きなイスラム教の寺院がある。そのモスクを右に曲がると「Hotel Old Town」までもう少し。目指す宿「Kod Keme」はHotel Old Townのすぐ隣だ。

Google Mapのお陰で全然迷うこと無く無事に宿に到着。ホテルと違い、レセプションが常駐しているわけではないので玄関には常時鍵がかかっている。インターフォンで到着を知らせると解錠され中に入ることができるのだが、顔の見えない外国人と話をするのはいつも緊張する。外国人っていうか、この場合、僕らが外国人なんだけど。

インターフォンを押すと綺麗な発音の英語で到着を歓迎してくれた。玄関が解錠され中に入ると、程なくして二階からから上品なマダムがニコニコしながら降りてきた。抑揚の付いたゆっくりとした口調で「こんにちは!ようこそ!」と。この宿を経営するネルミナさんだ。「ボスニア人」は無口で殺伐としていると思っていたので、彼女の温かい歓迎には本当に驚いた。それでも、明るいのはこの人だけで、街の人は殺伐としているのかもしれない。そんな疑念が拭い去れず、ここでイト家と別れるのが心細かった。

ひと通り挨拶を済ませると「あなたの友達は、今日日本に帰るのよね。もし良かったら、ここに荷物を置いて時間まで街を散策して来たらどう?」と。なんとありがたい。鍵を受け取って早速街に繰り出すことに。

イト家と過ごすのは後3時間くらい。とりあえず、旧市街バシチャルシアのランドマーク「セビリ」という水飲み場へ。旅行シーズンも終わりに差し掛かっていて、人通りはそれほど多くない。そのまま、北に向かい丘を登ると広い墓地があった。来た道を振り返ると少し街が見下ろせるようになっていて、目の前に広がる風景の美しさに息を飲んだ。そここから住宅地を縫うように歩き坂を下って元の場所へ。建築家のイト君は、これまに無い建物のデザインに興味津々で写真を撮りまくっていた。

まだ時間に余裕があったが、早めに食事を取ってゆっくりすることに。繁華街に向かい適当な店に入ると、ピザとローカルビールを注文。「サラエボ、なんか良さそうだよね」とイト君。彼らはクロアチアを旅することが目的で、サラエボに来たのは僕のワガママに付き合ってくれたから。自分自身もサラエボがどんなところか写真や映像でしか知らなかったし、ローカルの人々の性格なんて知る由もなく、みんなを連れてくることに不安があったが、気に入ってくれたようで安心した。

いよいよイト家と別れの時。宿に戻るとネルミナさんがタクシーを読んでくれるとのこと。長いフライトになるだろうから、とシャワーも勧めてくれた。泊まってもいないのになんて親切なんだ。

タクシーは間もなくやってきた。陽気な女性のドライバーで、大きな荷物も手際よく乗せてくれた。日本での再会を約束しタクシーは彼らを乗せて空港へ。

さて、ここから2日間一人行動になる。内心不安だったが、早速街歩きに繰り出した。まずはツインタワービルを目指して街の中心部へ。徒歩20分くらいだろうか。繁華街を抜けると、近代的で歪な形の豪華なショッピング施設「Sarajevo City Center」が。街をゆく古いトラムとのコントラストが印象的だった。Sarajevo City Centerの西側には、政府の庁舎ビルがある。紛争で傷ついていたビルも綺麗に修復されている。

庁舎ビルの北にはホリデイ・インホテルが。紛争中も営業を続け、世界中のジャーナリストがここから世界に向かって情報を配信した。ホテルの南側側面は最前線に面しており砲撃でめちゃくちゃに破壊されたという。

ホリデイ・インの東側にはツインタワービルが。こちらも見事に修復され、現在はオフィスビルとして使われているようだ。ざっと写真を撮り、暗くならない内に宿に戻ることに。

サラエボに来て初めて本物のアザーンを聞いた。


海外で携帯を使うと…

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ボスニアは海外パケ放題的なサービスが対象外の国だったので、インターネットへの接続は最小限度にとどめたつもりでしたが。。。携帯の利用料金が80,000円近くになってしまいました。。。とほほ。。。旅慣れていないことがバレてしまいますね。

今月はサバイバルです!

写真はボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボ。北西の斜面から撮影しました。様々な宗教や文化が混在する見事な街並みです。


旧ユーゴスラビアの旅4 – サラエボからザグレブへ

[写真1] サラエボのバス乗り場よりクロアチアのザグレブに向かって出発。いきなり砲撃で破壊されたと思われる建物が。

[写真2] 味のあるマンション。どことなく社会主義的な雰囲気が。旧ユーゴ時代に建てられたものだろうか。

[写真3] かつてのセルビア人支配地域「グルバビッツァ地区」の近く。紛争時は最前線だった場所。オシム監督はグルバビッツァに住んでいたのだとか。大きなサッカースタジアムもある。

[写真4] しばらくするとほのぼのした田舎の風景に。護岸工事のなされていない川が美しい。

[写真5] 国政選挙が近いためか、各地で政治家のものと思われるポスターが。サラエボでは、ボスニア・ヘルツェゴビナ初代大統領アリヤ・イゼトベゴヴィッチの息子、バキル氏の巨大な看板をいくつか目にした。

[写真6] 乗車したバス。なかなか快適でした。トイレはパーキングで済ますことになるので、水の飲み過ぎには注意。

[写真7] バスから目にしたものを書き取るイトー奥さん。さすがはグラフィックデザイナー。

[写真8] イトー君の足元。断りなく本人の写真を載せちゃまずいので足だけの登場。

[写真9] なんと、地中からガードレールが生えてきてるじゃないか。

[写真10] ボスニアの自然、美しい。

 


旧ユーゴスラビアの旅3 – トルコからサラエボ

[写真1] 無事にトルコを出発。下は雲海。マケドニアの辺りだろうか。

[写真2,3] 恐らくボスニア領内。サラエボの標高は550m。周囲が山に囲まれた盆地のため、霧や雲が立ち込めやすい。飛行機が遅れたのはこのため。

[写真4] 感動の瞬間。サラエボの街が眼下に。遂に来てしまった。

[写真5,6] 雲海に突入。そしてまもなくランディング。

[写真7] 無事サラエボ空港へ。感無量。内戦でダメージを受けた空港も今ではこの通り綺麗に修復され、ボスニアの玄関口として機能している。 戦争から約20年ほど経過しているので、当たり前といえば当たり前なのだが。

入国審査をパスして空港のメインロビーへ移動すると、190cmはあろうかという大男が「Shinsuke Inove」とかかれた紙を持って立っている。私、Inoueなんですけどね。

後に知ることになるのだが、ピックアップに来てくれたこの人は、宿の女将さんの息子さんであった。

 


旧ユーゴスラビアの旅2 – 高松からトルコ

2014年10月8日早朝、高松空港に向かう。

[写真1] 見慣れた街並で、普段なら写真など撮ることもないのだが、この日はいつもと違うような雰囲気が。行き先が未知の国なだけに緊張していたのだろう。

[写真2] サラエボには高層マンションが屹立しているとのことで、比較のために車の窓から一枚。因みに、全国チェーンの丸亀製麺は讃岐が発祥ではないらしい。味は無難にまとめられていて香川育ちの自分でも違和感無く食べられる。

[写真3] 高松空港内のうどん屋にて。これからしばらく郷土の味が食べられなくなるので、出発前に一杯。これが最後の一杯にならなきゃ良いなー、なんて縁起でも無いことを考えながら食べた。

[写真4,5] ジェットスターで成田空港へ。10:30に着陸。出国は21時前なのでほぼ半日成田空港で過ごすことになる。とは言え、出国までに済ませておかなければならないサイトの更新など、実はやることがたくさんあったので暇を持て余すようなことは無かった。

18時頃、同行者の一人イトー君と一年ぶりの再会。早速ビールで一杯やっていると、もう一人の同行者、イトー君の奥さんが到着。みんなこの旅のために仕事に目処を付けてきたので少々お疲れ気味。

[写真6] ターキッシュエアラインの機内にて。イトー君、CanonのM2を入手したらしい。最近のミラーレスは良く出来ていると思う。タッチパネルの操作性が良い。

[写真7] タッチパネルと言えばこのモニタ。反応がイマイチでフリーズすることも度々。しかし無いよりは有った方が遥かに良い。映画を二本ほど観てウトウトと。

[写真8] トルコのアタテュルク国際空港に到着。愛煙家のイトー夫妻にとって長時間のフライトは苦痛だったに違いない。乗り継ぎまでの時間は四時間ほど。早朝ではあるが、チャンスが有ればイスタンブールの街を歩いてみあかったのだが、IS(イスラーム国)の問題で難民が流入しているとのことで、空港内で待機。

[写真9] 喫煙所はメインフロアの一階上。フードコート前のエスカレーターを登り、左斜め前にあるカフェとカフェの間を通って行くと薄暗い喫煙所がある。

サラエボに向かう一時間ほど前に遅延の知らせが。16日からサラエボでお世話になる宿に空港まで迎えに来てくれるようにお願いしていたので、状況を説明するために宿に電話。顔を合わせたことのない外国人に電話をするのは緊張する。しかも早朝だ。

何度かコール音が流れても出ない。寝ているのだろう。一旦切るが、申し訳ないなと思いつつ、もう一度電話してみる。すると女性の声で「ハロー」と。なかり眠そうだ。自分が誰であるかを伝えると、流暢な英語で「まあ!もしかして、迎えが来てないんですか?」と。「いいえ、実はまだトルコなのですが飛行機が遅れるみたいなんです」と伝えると、「わざわざ連絡してくれてありがとう。到着時間をドライバーに伝えるから心配しないでくださいね」と。物腰の柔らかい丁寧な応対にほっとひと安心。と同時に、ボスニア人のイメージが刷新された瞬間でもあった。もちろん良い意味で。

飛行機は二時間遅れでサラエボに向かって飛び立った。