旧ユーゴスラビアの旅3 – トルコからサラエボ

[写真1] 無事にトルコを出発。下は雲海。マケドニアの辺りだろうか。

[写真2,3] 恐らくボスニア領内。サラエボの標高は550m。周囲が山に囲まれた盆地のため、霧や雲が立ち込めやすい。飛行機が遅れたのはこのため。

[写真4] 感動の瞬間。サラエボの街が眼下に。遂に来てしまった。

[写真5,6] 雲海に突入。そしてまもなくランディング。

[写真7] 無事サラエボ空港へ。感無量。内戦でダメージを受けた空港も今ではこの通り綺麗に修復され、ボスニアの玄関口として機能している。 戦争から約20年ほど経過しているので、当たり前といえば当たり前なのだが。

入国審査をパスして空港のメインロビーへ移動すると、190cmはあろうかという大男が「Shinsuke Inove」とかかれた紙を持って立っている。私、Inoueなんですけどね。

後に知ることになるのだが、ピックアップに来てくれたこの人は、宿の女将さんの息子さんであった。

 


旧ユーゴスラビアの旅2 – 高松からトルコ

2014年10月8日早朝、高松空港に向かう。

[写真1] 見慣れた街並で、普段なら写真など撮ることもないのだが、この日はいつもと違うような雰囲気が。行き先が未知の国なだけに緊張していたのだろう。

[写真2] サラエボには高層マンションが屹立しているとのことで、比較のために車の窓から一枚。因みに、全国チェーンの丸亀製麺は讃岐が発祥ではないらしい。味は無難にまとめられていて香川育ちの自分でも違和感無く食べられる。

[写真3] 高松空港内のうどん屋にて。これからしばらく郷土の味が食べられなくなるので、出発前に一杯。これが最後の一杯にならなきゃ良いなー、なんて縁起でも無いことを考えながら食べた。

[写真4,5] ジェットスターで成田空港へ。10:30に着陸。出国は21時前なのでほぼ半日成田空港で過ごすことになる。とは言え、出国までに済ませておかなければならないサイトの更新など、実はやることがたくさんあったので暇を持て余すようなことは無かった。

18時頃、同行者の一人イトー君と一年ぶりの再会。早速ビールで一杯やっていると、もう一人の同行者、イトー君の奥さんが到着。みんなこの旅のために仕事に目処を付けてきたので少々お疲れ気味。

[写真6] ターキッシュエアラインの機内にて。イトー君、CanonのM2を入手したらしい。最近のミラーレスは良く出来ていると思う。タッチパネルの操作性が良い。

[写真7] タッチパネルと言えばこのモニタ。反応がイマイチでフリーズすることも度々。しかし無いよりは有った方が遥かに良い。映画を二本ほど観てウトウトと。

[写真8] トルコのアタテュルク国際空港に到着。愛煙家のイトー夫妻にとって長時間のフライトは苦痛だったに違いない。乗り継ぎまでの時間は四時間ほど。早朝ではあるが、チャンスが有ればイスタンブールの街を歩いてみあかったのだが、IS(イスラーム国)の問題で難民が流入しているとのことで、空港内で待機。

[写真9] 喫煙所はメインフロアの一階上。フードコート前のエスカレーターを登り、左斜め前にあるカフェとカフェの間を通って行くと薄暗い喫煙所がある。

サラエボに向かう一時間ほど前に遅延の知らせが。16日からサラエボでお世話になる宿に空港まで迎えに来てくれるようにお願いしていたので、状況を説明するために宿に電話。顔を合わせたことのない外国人に電話をするのは緊張する。しかも早朝だ。

何度かコール音が流れても出ない。寝ているのだろう。一旦切るが、申し訳ないなと思いつつ、もう一度電話してみる。すると女性の声で「ハロー」と。なかり眠そうだ。自分が誰であるかを伝えると、流暢な英語で「まあ!もしかして、迎えが来てないんですか?」と。「いいえ、実はまだトルコなのですが飛行機が遅れるみたいなんです」と伝えると、「わざわざ連絡してくれてありがとう。到着時間をドライバーに伝えるから心配しないでくださいね」と。物腰の柔らかい丁寧な応対にほっとひと安心。と同時に、ボスニア人のイメージが刷新された瞬間でもあった。もちろん良い意味で。

飛行機は二時間遅れでサラエボに向かって飛び立った。