旧ユーゴの旅8 – ブレッド湖

スロベニアのブレッド湖に到着。当日の朝まで快晴だったが、モヤがかかっている。雨じゃないだけマシだが、景勝地である分、写真好きの自分にとってはちょっと残念な天気。

[写真1]ブレッド湖最寄りのバス停近く。紅葉した木が綺麗。

[写真2]ブレッド湖への道すがら、煙を吐き出す建物が。ボヤだろうか。

[写真3]やっぱりヨーロッパの植物は綺麗だ。

[写真4]湖畔近くの出店。パンの大きさが尋常ではない。

[写真5]遂にブレッド湖!

ブレッド湖に着いたのは昼過ぎだったように思う。湖畔のレストラン「Grajska Plaza」で腹ごしらえ。ここは本当におすすめのレストラン。あっさりでさっぱりなのに奥深い味わいが。ブレッド湖を一望できるロケーションも最高。スタッフのMisoさんとは後にFacebookで友達になった。めちゃ良い人。イトー家もご満悦な様子で、食後はブレッド湖を散策。ヨーロッパの日差しは鋭く、撮る写真が自然とハイコントラストに。

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有名な聖マリア教会。写真だと分かりにくいが、湖に浮かぶ島に建てられた教会。15世紀の建築だ。綺麗すぎて感無量。

ブレッド湖のを楽しんだ後、16時半にバス停へ。ここでトラブルが。どうやらバスの時刻表を見間違えていたようで、当分の間バスが来ないことが発覚。参った。20時ごろの列車に乗らないとザグレブの宿まで戻れない。こうなるともうタクシーしかないのだが、目の前に停車しているのは団体専用のタクシー。最低人数は7名。人数が足りず乗れない。八方ふさがりだ。途方に暮れている内に、団体タクシーは若い女性の一団を乗せて何処かへ消えていった。

幾分か冷静さを取り戻した時にふと思った。さっきの団体タクシー、3人でも金さえ払えば乗せてくれたんじゃないか、と。しかし時既に遅し。そんなことをふと口に出すと、イトー君が「あのタクシー会社の電話番号メモってるよ」と。なに!? ならば交渉してみる価値ありだ。さっそくタクシー会社に電話。すると、さっきいたタクシーのドライバーに繋がった。
「3人ですけどリュブリャナ駅まで乗せてもらえませんか?」
「いやー、3人だと少なすぎるね」
「じゃあ、倍の金額を払います」
「よし、それなら大丈夫。別のタクシーを手配するから待ってて。10分ほどでシルバーのホンダが迎えに行くよ」
た、助かった。言ってみるもんだ。タクシーの電話番号をメモっていたイトー君、かなりのファインプレー。

しばらくすると、シルバーのホンダ車がバス停に。降りてきたのは小柄で愛想の良いおばちゃん。電話で話したタクシー運転手の奥さんだそうだ。このおばちゃん、高速に乗った途端アクセルべた踏みで、メーターは常に140km/h前後を行き来している。かなりの飛ばし屋だ。イトー君が「イエス、ホンダ!」というと、「グレート ホンダ!」と返してくる。かわいらしいおばちゃんだ。

タクシーは無事にリュブリャナ駅に到着。おばちゃんの頑張りにも関わらず、最終列車の出発時間が間近に迫る。ここから発券所に行ってで切符を買いホームに移動しなければならない。依然として間に合う保証は無い。駆け足で券売所へ。すると、先客のオジサンが係の人と話し込んでいるではないか。1分2分と時間が過ぎる。そして、ようやく自分らの番。
「ザグレブまで大人3枚!列車はいつ出ますか!?」
「あと5分よ」
ヤバイい、ヤバすぎる。急がねば。切符を受取りホームを駆け足。すると後ろから、キックボードに乗った女の子が2人、我々をチラ見しながら優雅に追い越して行くではないか。日本人の男がキックボードになんぞ負けててはいられない。「100m 11秒02の俊足ナメたらあかんで!」と心の中で絶叫しながら猛追。すると少女達も更にスピードを早める。初期のオッサン + バックパックのハンデでは分が悪い。結局息が続かずキックボード少女たちには敗北を喫した。調子に乗ってすんませんでした。

出発の一分前に何とか最終電車に。これでザグレブに帰れる。。。


旧ユーゴスラビアの旅7 – スロベニアへ

隣国スロベニアへ遠足。早朝、ザグレブの中央駅から出発の予定が、発券所の場所が分かりにくく、一本電車をミスしてしまった。リュブリャナ (スロベニアの首都) を諦めてプリトビッツェ国立公園に向かうことも考えたが、 運良く次の電車でも日帰りでザグレブに戻って来られそうだったので、スロベニアに行くことにした。クロアチアの駅員さんは、どれだけ走っても間に合わないであろう電車を「あと3分だ急げ!」と案内する。責任回避優先の日本には無い案内の仕方だが、少しでも間に合う可能性があるならこう案内してもらった方が有り難い。間に合わなかったけど。

クロアチアとスロベニアの国境で母親から電話が。「キヤノンからコンテストに入選したって手紙が来たわー」と。このタイミングで嬉しい知らせ。人事を尽くしたら、すっかり忘れて旅に出るのが良いみたいだ。

[写真1] スロベニアは、イタリアやオーストリア、ハンガリーと国境を接していることから、旧ユーゴ時代には工業の中心地として栄えた。クロアチアも豊かな様子だったが、スロベニア領内に入るとオーストリアの田舎のような風景になる。建物は小綺麗で落ち着いたトーン。農地も手入れが行き届いている。

[写真2] スロベニアの「セヴニツァ駅」(Sevnica) で、リュブリャナ行きの電車に乗り換え。現地の発音では「センニッツァ」に聞こえる。清潔感のある小ぢんまりとした街で、単に乗り継ぎで通り過ぎるのはもったいないと思うほど。

[写真3] 飲兵衛のイトー夫妻に促されて早速の朝ビール。

[写真4 – 7] 駅周辺の様子。ヨーロッパの植物は葉が繊細でお洒落だ。

[写真8] リュブリャナ行きの電車。グラフティーが凄い。アートの一分野として認知されているのだろう。

[写真9] これまたお洒落な鉄道時計。「MOBATIME」というメーカーだそうだ。
※Wikiに関連記事があったのでリンクします → スイス鉄道時計

次回は、名所「ブレッド湖」について。


旧ユーゴスラビアの旅 1

 

848A1750_22014年10月8日より17日間の旅程で、ボスニア・ヘルツェゴビナとクロアチア、スロベニアを旅してきました。出入国はサラエボ空港を利用。上空から見下ろすサラエボの街並みは圧巻でした。これから写真を交えなながら旅行記を書いてみようと思います。

旅程 & メモ
8日 – 高松 → 成田
9日 – イスタンブール → サラエボ → ザグレブ
10日 – ザグレブ → リュブリャナ → ブレッド湖 → リュブリャナ → ザグレブ
11日 – ザグレブ → プリトヴィッツェ → ザグレブ
12日 – ザグレブ → ドブロブニク
13日 – ドブロブニク(洗濯日)
14日 – ドブロブニク
15日 – ドブロブニク → モスタル (ロバート同行)
16日 – モスタル → サラエボ (イトー家最終日)
17日 – サラエボ (ロバート合流)
18日 – サラエボ
19日 – サラエボ (スギムラ合流)
20日 – サラエボ (ロバート最終日)
21日 – サラエボ → モスタル → ドブロブニク
22日 – ドブロブニク → サラエボ
23日 – サラエボ → イスタンブール
24日 – 関空