旧ユーゴの旅15 – モスタル

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ドブロブニクからモスタルまでは3時間。国境でパスポート審査を済ませボスニアへ。その後すぐにネウムのサービスエリアに停車。モスタルに着くのが20時を越えそうだったので、一応パンを買っておいた。そのままボスニア領内を走行するのかと思いきや、バスは再びクロアチアへ。当然のことながら、国境を越えるたびにパスポートにはスタンプが捺されてゆく。そしてまたボスニアへ。スタンプだらけだ。

ボスニアに入ると、街のトーンが暗くなった。学生時代に、ドイツからチェコに入った時のことを思い出した。ボスニアは復興が遅れているようだ。ロバートはiPhoneでリック・スティーブスという有名な旅人の音声ガイドを聞いている。「これ良いから、Wi-FiをキャッチしたらDLすると良いよ」とのこと。

しばらくすると、遠くの山の上にライトアップされた十字架が見てきた。モスタルに住むクロアチア系住民のモニュメントだ。写真や映像でしか見たことのなかった世界遺産「スタリ・モスト」(Stari most / 古い橋)までもう少しだと思うと興奮した。

バスはモスタルの市街地へ。街は暗く、戦闘で傷ついた建物が目立つ。これまで巡った都市との違いに驚く。間もなくバスはターミナルに到着。時間は20時近くだったと思う。ターミナルは比較的大きな建物だが、共産主義的な無機質なデザインで雰囲気が少し重苦しい。

一行、ホテルを目指してすぐ前のりを右へ。少し雨が降ったのか路面がしっとりしていた。ホテルは市の中心。ところが、歩けば歩くほど街は暗くなる。不思議に思い、一行立ち止まってガイドブックで位置を確認。どうやら反対方向に進んでいるようだ。

ここで事件。後ろから歩いてきていた地元の若者らが我々を邪魔に思ったようで、ブロークンな英語で我々を怒鳴り付け、イト君のスーツケースを突き飛ばした。一瞬、面倒なことになったなと思ったが、若者らはそのまま肩で風を切って夜の闇に消えていった。大きなトラブルに発展しなくて良かった。

※主観ですが、夜のモスタルは治安があまり良くなさそうでした。実際に、旅行者が暴行を受けたという報告もあるので、暗くなってからの外出は控えた方が良さそうです。

気を取り直して来た道を引き返し、バスターミナルに戻ると、宿の客引きの女性がきれいなアクセントの英語で話しかけてきた。既に泊まるところは決めてあると告げると残念そうな顔をしたが、「あなた達の宿はあっちよ」と大まかな方向を教えてくれた。さらに、「旧市街の石畳はかなりボコボコしているから、スーツケースを引いて歩くのは難しいかもしれないわね」と注意もしてくれた。

スタリ・モストはバス停から左の方向。橋の掛かるネトレヴァ川は、バス停の前の通りに平行して流れているので、川から離れないように気をつけながら、できるだけ明るい道を選んで歩いた。先ほどに比べると人通りは多いものの、街の雰囲気はどんよりしている。カフェや民家の軒下から立ち込めるタバコの煙のせいだろうか。2010年の時点でボスニアの失業率は約43%とのこと。厳しい現実が日没後の街に暗い影を落とすのかもしれない。

しばらく歩くと周囲の雰囲気が一変。ゴツゴツした石畳に東洋的なの雰囲気漂う洒落た建物。旧市街に入ったようだ。客引きの女性の言うとおり、石畳はかなりボコボコしていて、スーツケースのタイヤは役に立たない。スタリ・モストまであと100mほどだが、重たいスーツケースを持って歩くのは骨が折れる。石畳を迂回する道もあるようだ。

額に汗が滲んできたころ、パッと開けた家屋の先に見事なアーチ状の橋が目に飛び込んできた。スタリ・モストだ。遂にここまでやってきた。

つづく。

【INFO】 モスタルのバス停から、スタリ・モスト(Stari Most,「古い橋」) までの道のり
徒歩17分 / 1.4km


旧ユーゴの旅13 – ドブロブニク滞在

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滞在2日目。ホテルから旧市街まではバスで20分ほど。バス停の近くのキオスクで切符を買いバスに乗車。バスには、観光客に加え地元の学生さんも多く乗車しているので車内は混雑している。近くに立っていた若い女性らは、大きなリュックを抱える私を鬱陶しく思ったのか、バスが揺れる度に憮然とした表情を浮かべる。いやはや、申し訳ない。

旧市街エリアに入ったあたりで勘を頼りに降車。んー、素晴らしい眺めだ。天気も最高。写真を撮りながら、長い階段を下り旧市街の正門へ。荘厳である。写真に見られる青いプレートは民宿を表すもので、意識していなくてもあちこちで目にする。

正門をくぐって旧市街の中へ入ると映画のような街が。オレンジ色の瓦屋根。白っぽい石造りの壁。深緑の雨戸が鮮やかに映る。そのまま適当なカフェに入ってビールで乾杯といきたいところだが、まず我々が向かうべきはコインランドリー。実は、洗濯物をかなり溜め込んでいたのである。

コインランドリーは旧市街の北西、プロチェ門のすぐそばだが、ちょっと分かりにくいので一番下にGoogle Mapを。

溜まった洗濯物を洗濯機に放り込みお金を入れて洗濯スタート。洗いは30分くらいなので、ビールでも飲みながら待つことに。ちょうどすぐ近くに我らがスーパーKONZUMがあったのでOzujskoビールを購入。外でプシュッと開けまして、晴天の空の下ドブロブニクにて乾杯。気分よろしね。3人でグダグダ話しをして適当に時間を潰す。そんな中、ふと近くの建物に目をやると壁面に弾丸の跡が。街は綺麗に修復されていはいるが、ここも20年ほど前は戦場。Wikiによると、1991年から92年の7ヶ月間、セルビア・モンテネグロの軍隊(ユーゴスラビア人民軍)の砲撃で甚大な被害を被ったのだそうだ。

洗い上がった洗濯物の乾燥は1時間ほど。小さな街をざっと見て回るには調度良い。それにしても美しい街である。美しいがゆえに観光客がいっぱい。中韓の団体ツアー客も目立つ。日本人と覚しき人も時々見かけるが、ほとんどが個人旅行。何かプロモーションに違いがあるのだろうか。それはさて置き、この観光客の多さは予想外だった。ドブロブニクは、もっと静かで海を見ながらボケーっとする場所だと思い込んでいたので、観光客の喧騒に負けじと一段ギアを上げるべくOzujskoビールで乾杯。

【INFO】
ドブロブニクのコインランドリー


旧ユーゴの旅11 – ザグレブiPhone事件

※今回は写真が多くてすみません。

プリトヴィツェからザグレブに戻り、夜の街をぶらぶらと歩きながら宿へ。途中スーパーマーケット「KOMZUM」で食料と酒を。惣菜コーナーに足を運ぶと、女性の店員さんが応対してくれて、旨そうな肉塊を切り分けてタッパーに詰めてくれた。笑顔が素敵な人だった。

宿に戻り夕食を取り始めるとイトー君が「あれー、iPhoneどこいったっけ」と。ズボンのポケット、リュック、宿のロッカー、どこを探しても無い。無い。無い…。まずい。幸い「iPhoneを探す」機能を有効にしているとのことで、ラップトップで探せる可能性が。早速、イトーくんのアカウントでiCloud.comにアクセス。「iPhoneを探す」をクリックするとザグレブの広域地図が。良かった。一応このエリアにはあるようだ。程なく、ピンがザグレブのバスステーション付近にドロップ。バスの中か、あるいはバス会社の事務所か。念のため、画面の地図をスクリーンショットに収め自分のiPhoneに転送。その後すぐに3人でバスターミナルへ。確か22時ごろだったと思う。

歩いて20分ほどでターミナルに到着。足早に窓口に向かい係の人に要件を伝えると、どこからのバスで何時頃にザグレブに到着したのか聞かれたので、17時頃プリトヴィツェからの乗車でザグレブには21時ごろに着いたと説明。念のため、「iPhoneを探す」のスクリーンショットを見せ、この付近にあることは確かであることを伝えた。係の人は一切表情を変えることなく、到着電話の受話器を取りどこかに問い合わせを始めた。程なくして「今のところ事務所には届いていないようです。該当のバスの運転手は既に帰宅しているので、明日の朝10:30にバスの前で待っていてください。ナンバーはXXXXです」と。すぐ近くにiPhoneがあるのになんだかもどかしいが、これ以上ここに居ても仕方がないので、バスの正確な位置を確認してから帰ることに。

表に出てバスの駐車場に向かうと、該当のバスは出入口のすぐ近くに駐車されていたのですぐに発見できた。バスの特徴が自分の記憶と異なっていることに驚く。人間のイメージ記憶なんてあまり当てにならない。ともあれ、明日の朝10時半にここにくればiPhoneがイトー君の手に戻る。正確な場所が特定できたので、安心と言えば安心なのだが、きちんと回収するまではやはり不安である。ワンチャンスなので、念のために手紙を書いてバスのワイパーに挟んでおくことにした。

ところで、ザグレブのバスターミナル周辺は広範囲に渡って小便臭い。たぶん、近くのバーで飲んでいて、小がしたくなったら適当な場所で闇夜に紛れてシャーっとやっているのだろう。インドのタージマハール周辺ほどではないが、なかなかの臭気。息苦しさを感じつつも、バスのすぐ横で手紙をしたためる。10月のバルカンは雨が多いと聞いていたが、しばらくの間雨が降っていないのかもしれない。

翌朝、10時にバス停へ。該当のバスは昨晩のままの位置に停まっているが、ワイパーに挟んだ手紙が無い。もしや、酔っぱらいが持ち去ったか。少し不安である。相変わらず小便臭い所だが、運転手に会えるのは1回こっきりなので、ここから離れるわけにはいかない。イトー君とよもやま話しをしながら時間を潰す。そして10時半、遂に運転手が現れた。白髪交じりの渋い顔をしたおじさん。すぐに歩み寄って挨拶をし、iPhoneのことを尋ねる。すると怪訝な眼差しでこちらをじろり。朝イチで面倒事に巻き込まれ不機嫌になってしまったのだろうか。重苦しい沈黙。しかし、次の瞬間おじさん運転手が「ふっふっふー」含み笑いをしながらゆっくりとダッシュボードに手を突っ込み、ニンマリとした表情で手に掴んだものを差し出して来た。iPhoneと手紙だった。私もイトー君も思わず「おぉぉぉぉ〜!」と大声を上げてしまった。なんと、手紙を読んで事前に車内を探してくれていたのだ。さっき見せた怪訝な眼差しはおじさんの演出。クロアチア人は粋だね。おじさんに深々と頭を下げ、お礼を述べてその場を後に。その後、すぐに近くのバーに入り「Ozujsko」ビールで乾杯。iとにかく無事に回収できて本当に良かった。


旧ユーゴの旅10 – プリトヴィツェ湖群国立公園 後編

後半は滝を。

この付近の水質は石灰岩が多いらしく、レンズに飛沫がかかるとすぐに水垢のようになるので、プロテクトフィルタは必須。カメラ好きの方々は注意されたし。滝の写真はPhosohopで加工しているので、コントラストが際立った絵になっている。

プリトヴィツェ湖群国立公園はとても広く、見どころも豊富なので、ゆっくり自然を味わいたい場合は近隣に宿を取るのが望ましい。我々は翌日スプリットに向かう予定を立てていたので、プリトヴィツェには宿泊せずにザグレブに戻った。次回ここを訪れる機会に恵まれたら一泊してゆっくりぶらぶらしたい。

プリトヴィツェの自然を満喫し、帰りのバス停に向かう道すがら、ふと道端のベンチに目をやると黒いスマホが。観光客の誰かが忘れて行ったものに違いない。公園の管理事務所に届けた方が良かろうということで、イトー奥さんがスマホを拾う。少し進むと、前方から血相を変えた若い女性が人の流れに逆行しながら走ってきた。我ら3人とも直感的にこの人だろうと。イトー奥さんがその女性にスマホを差し出すと、眉毛をハの字にして「オー、センキュー!」と。旅の途中で端末を無くすと、残りの旅程が暗いものになる。無事、持ち主の元へ返すことができて良かった。

プリトヴィツェ湖群国立公園の滞在時間はおよそ4時間くらいだった。この日は特にトラブルに遭遇することもなく、無事に帰りバスにのることが出来た。夕暮れ時、バスに揺られながらクロアチアの美しい田園風景を満喫。日が暮れてからのことはあまり記憶に無い。もしかすると、疲れて寝てしまったのかも。


旧ユーゴの旅9 – プリトヴィツェ湖群国立公園 前編

プリトヴィツェ湖群国立公園には、16の湖と92の滝が存在する。あまり全景を押さえた写真がなくて残念だが、まるでファイナルファンタジーの世界に迷い込んだかのような風景。

公園のゲートでチケットを買おうとすると、スタッフのおばちゃんが「券売所はあっちですよ」と指をさす。見ると、少し離れたところに鉄骨の建物が。斜面を登り建物の中へ入ると2つほどカウンターが。先客が何グループかいたが、程なくして我々の番。チケット係の女性が「家族関係の人はいますか?」と尋ねてくる。「この2人は夫婦ですが、僕は彼らの友人です」というと、「ふーん、じゃああなたも家族ということにして、割引してあげますよ」と。何と優しい!

1991年のクロアチア独立紛争時、この地で最初の武力衝突が勃発。第二バス停の近くには最初の戦死者Josip Jović氏を称えるモニュメントが建っている。ボスニア紛争については何冊か本を読んだが、クロアチア紛争についてはあまり良く知らない。こんなに美しい場所で激しい戦闘が繰り広げられたとは。地雷もたくさん埋設されていたそうな。

湖は透明度が高く、写真のように水中の魚もはっきり見える。もしここを訪れるなら10月中旬がおすすめ。青い湖と紅葉がとても良い。

ザグレブのバスターミナルからプリトヴィツェまで3時間弱。かなりの距離だが、クロアチアに来たら必ず寄りたい観光名所。途中、ラストケ村という綺麗な小さな村に寄る案もあったのだが、時間の都合で割愛。Youtubeにラストケ村の案内動画が幾つか上がっているので是非観ていただきたい。

【INFO】
バス : ザグレブ – プリトヴィツェ湖群国立公園


旧ユーゴの旅8 – ブレッド湖

スロベニアのブレッド湖に到着。当日の朝まで快晴だったが、モヤがかかっている。雨じゃないだけマシだが、景勝地である分、写真好きの自分にとってはちょっと残念な天気。

[写真1]ブレッド湖最寄りのバス停近く。紅葉した木が綺麗。

[写真2]ブレッド湖への道すがら、煙を吐き出す建物が。ボヤだろうか。

[写真3]やっぱりヨーロッパの植物は綺麗だ。

[写真4]湖畔近くの出店。パンの大きさが尋常ではない。

[写真5]遂にブレッド湖!

ブレッド湖に着いたのは昼過ぎだったように思う。湖畔のレストラン「Grajska Plaza」で腹ごしらえ。ここは本当におすすめのレストラン。あっさりでさっぱりなのに奥深い味わいが。ブレッド湖を一望できるロケーションも最高。スタッフのMisoさんとは後にFacebookで友達になった。めちゃ良い人。イトー家もご満悦な様子で、食後はブレッド湖を散策。ヨーロッパの日差しは鋭く、撮る写真が自然とハイコントラストに。

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有名な聖マリア教会。写真だと分かりにくいが、湖に浮かぶ島に建てられた教会。15世紀の建築だ。綺麗すぎて感無量。

ブレッド湖のを楽しんだ後、16時半にバス停へ。ここでトラブルが。どうやらバスの時刻表を見間違えていたようで、当分の間バスが来ないことが発覚。参った。20時ごろの列車に乗らないとザグレブの宿まで戻れない。こうなるともうタクシーしかないのだが、目の前に停車しているのは団体専用のタクシー。最低人数は7名。人数が足りず乗れない。八方ふさがりだ。途方に暮れている内に、団体タクシーは若い女性の一団を乗せて何処かへ消えていった。

幾分か冷静さを取り戻した時にふと思った。さっきの団体タクシー、3人でも金さえ払えば乗せてくれたんじゃないか、と。しかし時既に遅し。そんなことをふと口に出すと、イトー君が「あのタクシー会社の電話番号メモってるよ」と。なに!? ならば交渉してみる価値ありだ。さっそくタクシー会社に電話。すると、さっきいたタクシーのドライバーに繋がった。
「3人ですけどリュブリャナ駅まで乗せてもらえませんか?」
「いやー、3人だと少なすぎるね」
「じゃあ、倍の金額を払います」
「よし、それなら大丈夫。別のタクシーを手配するから待ってて。10分ほどでシルバーのホンダが迎えに行くよ」
た、助かった。言ってみるもんだ。タクシーの電話番号をメモっていたイトー君、かなりのファインプレー。

しばらくすると、シルバーのホンダ車がバス停に。降りてきたのは小柄で愛想の良いおばちゃん。電話で話したタクシー運転手の奥さんだそうだ。このおばちゃん、高速に乗った途端アクセルべた踏みで、メーターは常に140km/h前後を行き来している。かなりの飛ばし屋だ。イトー君が「イエス、ホンダ!」というと、「グレート ホンダ!」と返してくる。かわいらしいおばちゃんだ。

タクシーは無事にリュブリャナ駅に到着。おばちゃんの頑張りにも関わらず、最終列車の出発時間が間近に迫る。ここから発券所に行ってで切符を買いホームに移動しなければならない。依然として間に合う保証は無い。駆け足で券売所へ。すると、先客のオジサンが係の人と話し込んでいるではないか。1分2分と時間が過ぎる。そして、ようやく自分らの番。
「ザグレブまで大人3枚!列車はいつ出ますか!?」
「あと5分よ」
ヤバイい、ヤバすぎる。急がねば。切符を受取りホームを駆け足。すると後ろから、キックボードに乗った女の子が2人、我々をチラ見しながら優雅に追い越して行くではないか。日本人の男がキックボードになんぞ負けててはいられない。「100m 11秒02の俊足ナメたらあかんで!」と心の中で絶叫しながら猛追。すると少女達も更にスピードを早める。初期のオッサン + バックパックのハンデでは分が悪い。結局息が続かずキックボード少女たちには敗北を喫した。調子に乗ってすんませんでした。

出発の一分前に何とか最終電車に。これでザグレブに帰れる。。。


旧ユーゴスラビアの旅6 – ザグレブの夜

[写真1- 3] ザグレブの宿「Hostel Heart of the City」の近く。駅からは徒歩15分〜20分と少し歩くが、繁華街に近いので夜遅くでも酒にありつける。宿の管理人さんはとても良い人で、個人旅行にありがちな困りごとに迅速に対応してくれて本当にお世話になった。写真1 の巨大な鐘楼は「The Cathedral of Assumption of the Blessed Virgin Mary」という教会で、我々が向かった繁華街はその西側の「Tkalčićeva Street」。

[写真4,5] 街の中心部。どことなくオーストリアを思わせる雰囲気。ここからビールを求めて盛り場へ。

 

「Tkalčićeva Street」近辺の繁華街の様子。イェラチッチ広場から北に伸びるストリートで、両サイドにお洒落なカフェやバー、レストランが軒を連ねる。23時閉店の店が多いので、食べ物を注文する場合は22時前までには席に着いておいた方が良いだろう。
(※ふらっと歩いた程度なので、営業時間等は正確じゃないかもしれません。悪しからず)

[写真6] 夜は肌寒いが、10月の初旬ということもあり、まだオープンカフェスタイルの店が多い。

[写真7] あちらこちらの店でバンドが生演奏を披露していた。

[写真8-9] ショートの金髪がカッコイイ女性のバーに着席。ローカルビールを飲もうかと思ったが、ベルギーの「ステラ」が目に留まり注文。

[写真10] イトー家としばしの歓談。翌朝はスロベニアに向かう。

※ 繁華街 「Tkalčićeva Street」の入り口はこちら。なんて読むんだろ?タカルチチェヴァ???


旧ユーゴスラビアの旅5 – ザグレブ着

[写真1-4] ボスニア北部、たぶんバニャルカ辺りではないかと思われる。ボスニアは、ムスリムとクロアチア系住民が大勢のFD (Federation of Bosnia and Herzegovina) とセルビア系住民が大勢のRS (Republika Srpska) に分かれている。バニャルカはRS側の首都。街の落書きにもキリル文字っぽいのが目立つので恐らくRSかと。

バスはクロアチアとの国境へ。国境ではバスから降りての入国審査。と言っても、特別何か書いたり検査されたりすることはない。パスポートを準備して現地の人たちの列に並んで係官に呼ばれるのを待っていれば良い。係官はかわいらしい女性で、スタンプを押したあと笑顔で見送ってくれた。再びバスへ。国境はかなり混んでいてなかなか出発しない。バスの窓から道路の様子を見ていると、車線を譲る譲らないでしょっちゅうクラクションが鳴り響く。現地の男性は体格が良く、髪を短く刈り込んでいる人が多いので、見ているだけで萎縮してしまう。

すっかり日が暮れた頃、バスは再びザグレブに向かって出発。程なくしてパーキングエリアに停車。成田を出て以来、まともなものを食べていなかったので、なにか暖かいものが食べたかったが、車内アナウンスが現地語で、どのくらい停まるのか分からない。運転手に聞けばよいのだが、体内の残存エネルギーと、もし英語が通じなかった時の落胆の度合いを天秤にかけると、水だけ飲んでイトー夫妻とダベっているのが良さそうに思えた。

バスはザグレブに向かって出発。景色が徐々に都会になってゆく。道幅も広く、舗装も行き届いていて大型のショッピング施設などが目に留まる。幹線道の街灯はオレンジ色。十分すぎるほどの明るさだが、色温度の高い光線が様々な物体から色彩を奪い、均質化された都会の街が闇夜にのっぺりと広がっている。

[写真5,6] 21時頃、ついにバスはザグレブのバスターミナルに到着。長い道のりだったが達成感が疲れを上回る。イトー夫妻が燻らすタバコの煙にもやり遂げた感が。


旧ユーゴスラビアの旅 1

 

848A1750_22014年10月8日より17日間の旅程で、ボスニア・ヘルツェゴビナとクロアチア、スロベニアを旅してきました。出入国はサラエボ空港を利用。上空から見下ろすサラエボの街並みは圧巻でした。これから写真を交えなながら旅行記を書いてみようと思います。

旅程 & メモ
8日 – 高松 → 成田
9日 – イスタンブール → サラエボ → ザグレブ
10日 – ザグレブ → リュブリャナ → ブレッド湖 → リュブリャナ → ザグレブ
11日 – ザグレブ → プリトヴィッツェ → ザグレブ
12日 – ザグレブ → ドブロブニク
13日 – ドブロブニク(洗濯日)
14日 – ドブロブニク
15日 – ドブロブニク → モスタル (ロバート同行)
16日 – モスタル → サラエボ (イトー家最終日)
17日 – サラエボ (ロバート合流)
18日 – サラエボ
19日 – サラエボ (スギムラ合流)
20日 – サラエボ (ロバート最終日)
21日 – サラエボ → モスタル → ドブロブニク
22日 – ドブロブニク → サラエボ
23日 – サラエボ → イスタンブール
24日 – 関空