旧ユーゴスラビアの旅6 – ザグレブの夜

[写真1- 3] ザグレブの宿「Hostel Heart of the City」の近く。駅からは徒歩15分〜20分と少し歩くが、繁華街に近いので夜遅くでも酒にありつける。宿の管理人さんはとても良い人で、個人旅行にありがちな困りごとに迅速に対応してくれて本当にお世話になった。写真1 の巨大な鐘楼は「The Cathedral of Assumption of the Blessed Virgin Mary」という教会で、我々が向かった繁華街はその西側の「Tkalčićeva Street」。

[写真4,5] 街の中心部。どことなくオーストリアを思わせる雰囲気。ここからビールを求めて盛り場へ。

 

「Tkalčićeva Street」近辺の繁華街の様子。イェラチッチ広場から北に伸びるストリートで、両サイドにお洒落なカフェやバー、レストランが軒を連ねる。23時閉店の店が多いので、食べ物を注文する場合は22時前までには席に着いておいた方が良いだろう。
(※ふらっと歩いた程度なので、営業時間等は正確じゃないかもしれません。悪しからず)

[写真6] 夜は肌寒いが、10月の初旬ということもあり、まだオープンカフェスタイルの店が多い。

[写真7] あちらこちらの店でバンドが生演奏を披露していた。

[写真8-9] ショートの金髪がカッコイイ女性のバーに着席。ローカルビールを飲もうかと思ったが、ベルギーの「ステラ」が目に留まり注文。

[写真10] イトー家としばしの歓談。翌朝はスロベニアに向かう。

※ 繁華街 「Tkalčićeva Street」の入り口はこちら。なんて読むんだろ?タカルチチェヴァ???


旧ユーゴスラビアの旅5 – ザグレブ着

[写真1-4] ボスニア北部、たぶんバニャルカ辺りではないかと思われる。ボスニアは、ムスリムとクロアチア系住民が大勢のFD (Federation of Bosnia and Herzegovina) とセルビア系住民が大勢のRS (Republika Srpska) に分かれている。バニャルカはRS側の首都。街の落書きにもキリル文字っぽいのが目立つので恐らくRSかと。

バスはクロアチアとの国境へ。国境ではバスから降りての入国審査。と言っても、特別何か書いたり検査されたりすることはない。パスポートを準備して現地の人たちの列に並んで係官に呼ばれるのを待っていれば良い。係官はかわいらしい女性で、スタンプを押したあと笑顔で見送ってくれた。再びバスへ。国境はかなり混んでいてなかなか出発しない。バスの窓から道路の様子を見ていると、車線を譲る譲らないでしょっちゅうクラクションが鳴り響く。現地の男性は体格が良く、髪を短く刈り込んでいる人が多いので、見ているだけで萎縮してしまう。

すっかり日が暮れた頃、バスは再びザグレブに向かって出発。程なくしてパーキングエリアに停車。成田を出て以来、まともなものを食べていなかったので、なにか暖かいものが食べたかったが、車内アナウンスが現地語で、どのくらい停まるのか分からない。運転手に聞けばよいのだが、体内の残存エネルギーと、もし英語が通じなかった時の落胆の度合いを天秤にかけると、水だけ飲んでイトー夫妻とダベっているのが良さそうに思えた。

バスはザグレブに向かって出発。景色が徐々に都会になってゆく。道幅も広く、舗装も行き届いていて大型のショッピング施設などが目に留まる。幹線道の街灯はオレンジ色。十分すぎるほどの明るさだが、色温度の高い光線が様々な物体から色彩を奪い、均質化された都会の街が闇夜にのっぺりと広がっている。

[写真5,6] 21時頃、ついにバスはザグレブのバスターミナルに到着。長い道のりだったが達成感が疲れを上回る。イトー夫妻が燻らすタバコの煙にもやり遂げた感が。


旧ユーゴスラビアの旅4 – サラエボからザグレブへ

[写真1] サラエボのバス乗り場よりクロアチアのザグレブに向かって出発。いきなり砲撃で破壊されたと思われる建物が。

[写真2] 味のあるマンション。どことなく社会主義的な雰囲気が。旧ユーゴ時代に建てられたものだろうか。

[写真3] かつてのセルビア人支配地域「グルバビッツァ地区」の近く。紛争時は最前線だった場所。オシム監督はグルバビッツァに住んでいたのだとか。大きなサッカースタジアムもある。

[写真4] しばらくするとほのぼのした田舎の風景に。護岸工事のなされていない川が美しい。

[写真5] 国政選挙が近いためか、各地で政治家のものと思われるポスターが。サラエボでは、ボスニア・ヘルツェゴビナ初代大統領アリヤ・イゼトベゴヴィッチの息子、バキル氏の巨大な看板をいくつか目にした。

[写真6] 乗車したバス。なかなか快適でした。トイレはパーキングで済ますことになるので、水の飲み過ぎには注意。

[写真7] バスから目にしたものを書き取るイトー奥さん。さすがはグラフィックデザイナー。

[写真8] イトー君の足元。断りなく本人の写真を載せちゃまずいので足だけの登場。

[写真9] なんと、地中からガードレールが生えてきてるじゃないか。

[写真10] ボスニアの自然、美しい。

 


旧ユーゴスラビアの旅3 – トルコからサラエボ

[写真1] 無事にトルコを出発。下は雲海。マケドニアの辺りだろうか。

[写真2,3] 恐らくボスニア領内。サラエボの標高は550m。周囲が山に囲まれた盆地のため、霧や雲が立ち込めやすい。飛行機が遅れたのはこのため。

[写真4] 感動の瞬間。サラエボの街が眼下に。遂に来てしまった。

[写真5,6] 雲海に突入。そしてまもなくランディング。

[写真7] 無事サラエボ空港へ。感無量。内戦でダメージを受けた空港も今ではこの通り綺麗に修復され、ボスニアの玄関口として機能している。 戦争から約20年ほど経過しているので、当たり前といえば当たり前なのだが。

入国審査をパスして空港のメインロビーへ移動すると、190cmはあろうかという大男が「Shinsuke Inove」とかかれた紙を持って立っている。私、Inoueなんですけどね。

後に知ることになるのだが、ピックアップに来てくれたこの人は、宿の女将さんの息子さんであった。

 


旧ユーゴスラビアの旅2 – 高松からトルコ

2014年10月8日早朝、高松空港に向かう。

[写真1] 見慣れた街並で、普段なら写真など撮ることもないのだが、この日はいつもと違うような雰囲気が。行き先が未知の国なだけに緊張していたのだろう。

[写真2] サラエボには高層マンションが屹立しているとのことで、比較のために車の窓から一枚。因みに、全国チェーンの丸亀製麺は讃岐が発祥ではないらしい。味は無難にまとめられていて香川育ちの自分でも違和感無く食べられる。

[写真3] 高松空港内のうどん屋にて。これからしばらく郷土の味が食べられなくなるので、出発前に一杯。これが最後の一杯にならなきゃ良いなー、なんて縁起でも無いことを考えながら食べた。

[写真4,5] ジェットスターで成田空港へ。10:30に着陸。出国は21時前なのでほぼ半日成田空港で過ごすことになる。とは言え、出国までに済ませておかなければならないサイトの更新など、実はやることがたくさんあったので暇を持て余すようなことは無かった。

18時頃、同行者の一人イトー君と一年ぶりの再会。早速ビールで一杯やっていると、もう一人の同行者、イトー君の奥さんが到着。みんなこの旅のために仕事に目処を付けてきたので少々お疲れ気味。

[写真6] ターキッシュエアラインの機内にて。イトー君、CanonのM2を入手したらしい。最近のミラーレスは良く出来ていると思う。タッチパネルの操作性が良い。

[写真7] タッチパネルと言えばこのモニタ。反応がイマイチでフリーズすることも度々。しかし無いよりは有った方が遥かに良い。映画を二本ほど観てウトウトと。

[写真8] トルコのアタテュルク国際空港に到着。愛煙家のイトー夫妻にとって長時間のフライトは苦痛だったに違いない。乗り継ぎまでの時間は四時間ほど。早朝ではあるが、チャンスが有ればイスタンブールの街を歩いてみあかったのだが、IS(イスラーム国)の問題で難民が流入しているとのことで、空港内で待機。

[写真9] 喫煙所はメインフロアの一階上。フードコート前のエスカレーターを登り、左斜め前にあるカフェとカフェの間を通って行くと薄暗い喫煙所がある。

サラエボに向かう一時間ほど前に遅延の知らせが。16日からサラエボでお世話になる宿に空港まで迎えに来てくれるようにお願いしていたので、状況を説明するために宿に電話。顔を合わせたことのない外国人に電話をするのは緊張する。しかも早朝だ。

何度かコール音が流れても出ない。寝ているのだろう。一旦切るが、申し訳ないなと思いつつ、もう一度電話してみる。すると女性の声で「ハロー」と。なかり眠そうだ。自分が誰であるかを伝えると、流暢な英語で「まあ!もしかして、迎えが来てないんですか?」と。「いいえ、実はまだトルコなのですが飛行機が遅れるみたいなんです」と伝えると、「わざわざ連絡してくれてありがとう。到着時間をドライバーに伝えるから心配しないでくださいね」と。物腰の柔らかい丁寧な応対にほっとひと安心。と同時に、ボスニア人のイメージが刷新された瞬間でもあった。もちろん良い意味で。

飛行機は二時間遅れでサラエボに向かって飛び立った。


旧ユーゴスラビアの旅 1

 

848A1750_22014年10月8日より17日間の旅程で、ボスニア・ヘルツェゴビナとクロアチア、スロベニアを旅してきました。出入国はサラエボ空港を利用。上空から見下ろすサラエボの街並みは圧巻でした。これから写真を交えなながら旅行記を書いてみようと思います。

旅程 & メモ
8日 – 高松 → 成田
9日 – イスタンブール → サラエボ → ザグレブ
10日 – ザグレブ → リュブリャナ → ブレッド湖 → リュブリャナ → ザグレブ
11日 – ザグレブ → プリトヴィッツェ → ザグレブ
12日 – ザグレブ → ドブロブニク
13日 – ドブロブニク(洗濯日)
14日 – ドブロブニク
15日 – ドブロブニク → モスタル (ロバート同行)
16日 – モスタル → サラエボ (イトー家最終日)
17日 – サラエボ (ロバート合流)
18日 – サラエボ
19日 – サラエボ (スギムラ合流)
20日 – サラエボ (ロバート最終日)
21日 – サラエボ → モスタル → ドブロブニク
22日 – ドブロブニク → サラエボ
23日 – サラエボ → イスタンブール
24日 – 関空