Robin Dupuy


音楽の先輩、チェロ奏者のロビンさんが久しぶりに高松で演奏してくた。自作の楽器で。本当に素晴らしい演奏だった。

ロビンさんは今、即興演奏に取り組んでいる。和歌山の自然豊かな村に住み、少人数を相手に土でできた家屋の中でライブを行っている。

http://www.robin-dupuy.com/


旧ユーゴの旅17-サラエボ2

サラエボの街の様子。日本でもおなじみのブランドZARAがある。

サラエボ滞在2日目。モスタルまで一緒だったロバートが「やあ、君の泊まっている宿に俺も泊まることにしたよ」とメールが。なんとなんと。早朝に、新しい宿泊者が来たような気配があったが、まさかロバートだったとは。ロバートは2日間サラエボに滞在し、その後、ブカレストに向かうとのこと。

起床後、ロバートと合流し朝食を摂るために近所のカフェへ。何か食べるものを注文しようとしたら飲み物しかない。サラエボのカフェはコーヒーやお茶だけを提供する店が多い。とりあえず、カプチーノを注文し目覚めの一杯。会計して店を出る時には「良い一日を!」と一声添えてくれる。南スラブ系の血を引くボスニアの人々。体が大きくてゴツイけど、なんかみんな良い人っぽい。街歩きもあまり心配しなくても良さそう。


旧ユーゴの旅16 – サラエボ1

モスタルからサラエボに到着。バスターミナルは列車の中央駅のすぐ近くにある。一行、スーツケースを受け取ると、宿に向かって歩き始めた。街にはまだ銃弾の跡が数多く残っており、その一つ一つが殺意の痕跡だと思うとゾッとした。駅から東の方に向かって歩き、旧市街のバシチャルシアを目指す。少し歩くと、少し賑やかになってきた。洋服屋や家電屋、化粧品店などが軒を連ねる。そのまま進むと、第二次世界大戦の頃から火が灯り続けるモニュメントが。さらにそのまま進むと、街の風景が一変しオリエンタルな雰囲気を帯びる。旧市街のバシチャルシアに差し掛かったようだ。バシチャルシアに入るとすぐに「ガジ・フスレヴ・ベグ・モスク」という大きなイスラム教の寺院がある。そのモスクを右に曲がると「Hotel Old Town」までもう少し。目指す宿「Kod Keme」はHotel Old Townのすぐ隣だ。

Google Mapのお陰で全然迷うこと無く無事に宿に到着。ホテルと違い、レセプションが常駐しているわけではないので玄関には常時鍵がかかっている。インターフォンで到着を知らせると解錠され中に入ることができるのだが、顔の見えない外国人と話をするのはいつも緊張する。外国人っていうか、この場合、僕らが外国人なんだけど。

インターフォンを押すと綺麗な発音の英語で到着を歓迎してくれた。玄関が解錠され中に入ると、程なくして二階からから上品なマダムがニコニコしながら降りてきた。抑揚の付いたゆっくりとした口調で「こんにちは!ようこそ!」と。この宿を経営するネルミナさんだ。「ボスニア人」は無口で殺伐としていると思っていたので、彼女の温かい歓迎には本当に驚いた。それでも、明るいのはこの人だけで、街の人は殺伐としているのかもしれない。そんな疑念が拭い去れず、ここでイト家と別れるのが心細かった。

ひと通り挨拶を済ませると「あなたの友達は、今日日本に帰るのよね。もし良かったら、ここに荷物を置いて時間まで街を散策して来たらどう?」と。なんとありがたい。鍵を受け取って早速街に繰り出すことに。

イト家と過ごすのは後3時間くらい。とりあえず、旧市街バシチャルシアのランドマーク「セビリ」という水飲み場へ。旅行シーズンも終わりに差し掛かっていて、人通りはそれほど多くない。そのまま、北に向かい丘を登ると広い墓地があった。来た道を振り返ると少し街が見下ろせるようになっていて、目の前に広がる風景の美しさに息を飲んだ。そここから住宅地を縫うように歩き坂を下って元の場所へ。建築家のイト君は、これまに無い建物のデザインに興味津々で写真を撮りまくっていた。

まだ時間に余裕があったが、早めに食事を取ってゆっくりすることに。繁華街に向かい適当な店に入ると、ピザとローカルビールを注文。「サラエボ、なんか良さそうだよね」とイト君。彼らはクロアチアを旅することが目的で、サラエボに来たのは僕のワガママに付き合ってくれたから。自分自身もサラエボがどんなところか写真や映像でしか知らなかったし、ローカルの人々の性格なんて知る由もなく、みんなを連れてくることに不安があったが、気に入ってくれたようで安心した。

いよいよイト家と別れの時。宿に戻るとネルミナさんがタクシーを読んでくれるとのこと。長いフライトになるだろうから、とシャワーも勧めてくれた。泊まってもいないのになんて親切なんだ。

タクシーは間もなくやってきた。陽気な女性のドライバーで、大きな荷物も手際よく乗せてくれた。日本での再会を約束しタクシーは彼らを乗せて空港へ。

さて、ここから2日間一人行動になる。内心不安だったが、早速街歩きに繰り出した。まずはツインタワービルを目指して街の中心部へ。徒歩20分くらいだろうか。繁華街を抜けると、近代的で歪な形の豪華なショッピング施設「Sarajevo City Center」が。街をゆく古いトラムとのコントラストが印象的だった。Sarajevo City Centerの西側には、政府の庁舎ビルがある。紛争で傷ついていたビルも綺麗に修復されている。

庁舎ビルの北にはホリデイ・インホテルが。紛争中も営業を続け、世界中のジャーナリストがここから世界に向かって情報を配信した。ホテルの南側側面は最前線に面しており砲撃でめちゃくちゃに破壊されたという。

ホリデイ・インの東側にはツインタワービルが。こちらも見事に修復され、現在はオフィスビルとして使われているようだ。ざっと写真を撮り、暗くならない内に宿に戻ることに。

サラエボに来て初めて本物のアザーンを聞いた。


macromauro

今年の一月に、
松山のcasa gucca (カザグッカ)で注文したmacromauroのリュックが遂に届きました。
久しぶりにド・ストライクなリュックです。
写真だと分かりづらいかもしれませんが、
素材はパリパリっとしていて、
置くと自立します。
白だから気をつけて使わねば。


Manfrotto XPRO 3ウェイ雲台 / タジマ F05

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雲台を新しくしました。
マンフロット XPRO3ウェイ雲台(MHXPRO-3W)
動きが滑らかで、思った所にじわりとセットすることができます。
今まで804RC2を使っていましたが、摩擦の問題か、微調整が非常に難しい。
「水平まであとちょっと」という所で、カッと跳ねて行き過ぎてしまうのです。
元に戻す時にも同様に跳ねるので、戻し過ぎてしまいます。
かなり使い辛い…。
販売店の店員さん曰く「いずれ馴染みますよ」と。
2年使ったけど全くそうなりませんでした。

XPRO3ウェイ雲台は最初から滑らか。
水準器も見やすく、5D Mark IIIのデジタル水準器と一致しています。
見た目も格好良いです。
グリップバーが伸縮するのも一興ですが、
やっぱり動きそのものに悩まされなくなったのが嬉しいです。

 

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それからこちら。
レーザー距離計 タジマF05
なんとレーザーで距離が測れてしまう優れもの。
建物の内装写真を撮る時に非常に便利なアイテムです。
測距範囲は50m。
誤差はわずか±2.0mm。
面積や体積の計算までしてくれます。
基本的には屋内用だと思いますが、
ポイント(レーザーが当たっている所)が目視出来さえすればもちろん屋外でも使えます。
日陰や日没前なら問題ないでしょう。
測距は、機械の尻からと頭からが選べるので、床に置いて天井までの高さを測るのも簡単。

以上、最近のヒット商品でした。


徳島のスリランカ料理店 マータラ

昨日、徳島に本格的なスリランカ料理のお店を見つけました。

マータラ」というお店です。

ビリヤニとアペーキャーマを食べましたが、どちらも“絶品”でした。

スリランカ(旧セイロン島)は、インド亜大陸のすぐ南東に位置していて、食文化は南インドのそれとよく似ています。

僕は、インド人音楽家に十年以上タブラを師事しているので、インドの食文化には親しみがあります。

香川県民ですが、ウドンよりもインド料理の方が好きなくらいです。

香川にも何店かインド料理のお店がありますが、正直に言いますと、スパイスの香りが物足りなかったりと…。

 

経験則ですが、ビリヤニを見ると、そのお店がどれだけこだわりを持っているかが分かります。

ええ、食べなくても見るだけで察しがつくのです。

ビリヤニは手間暇がかかりますからね。

特に、日本の米を使っている場合など、水加減が難しいでしょうから。

以前、チキンライスにガラムマサラを振っただけの物を「ビリヤニ」として出してきたお店がありました。

全く別の料理として食いました。

 

マータラのビリヤニは水加減も塩加減も絶妙。

スパイスの香りが豊かでとても旨かったです。

以前、高松に「シリ・バラジ」の支店がありました。

そこもビリヤニが絶品でしたが、残念ながら閉店。

以来、ビリヤニ難民と化していましたが、やっと安住の名店が見つかりました。

 

【スリランカ料理 マータラ】

  • 徳島県徳島市城東町2-1-31
  • 088-678-6937
  • 木曜日定休


旧ユーゴの旅15 – モスタル

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ドブロブニクからモスタルまでは3時間。国境でパスポート審査を済ませボスニアへ。その後すぐにネウムのサービスエリアに停車。モスタルに着くのが20時を越えそうだったので、一応パンを買っておいた。そのままボスニア領内を走行するのかと思いきや、バスは再びクロアチアへ。当然のことながら、国境を越えるたびにパスポートにはスタンプが捺されてゆく。そしてまたボスニアへ。スタンプだらけだ。

ボスニアに入ると、街のトーンが暗くなった。学生時代に、ドイツからチェコに入った時のことを思い出した。ボスニアは復興が遅れているようだ。ロバートはiPhoneでリック・スティーブスという有名な旅人の音声ガイドを聞いている。「これ良いから、Wi-FiをキャッチしたらDLすると良いよ」とのこと。

しばらくすると、遠くの山の上にライトアップされた十字架が見てきた。モスタルに住むクロアチア系住民のモニュメントだ。写真や映像でしか見たことのなかった世界遺産「スタリ・モスト」(Stari most / 古い橋)までもう少しだと思うと興奮した。

バスはモスタルの市街地へ。街は暗く、戦闘で傷ついた建物が目立つ。これまで巡った都市との違いに驚く。間もなくバスはターミナルに到着。時間は20時近くだったと思う。ターミナルは比較的大きな建物だが、共産主義的な無機質なデザインで雰囲気が少し重苦しい。

一行、ホテルを目指してすぐ前のりを右へ。少し雨が降ったのか路面がしっとりしていた。ホテルは市の中心。ところが、歩けば歩くほど街は暗くなる。不思議に思い、一行立ち止まってガイドブックで位置を確認。どうやら反対方向に進んでいるようだ。

ここで事件。後ろから歩いてきていた地元の若者らが我々を邪魔に思ったようで、ブロークンな英語で我々を怒鳴り付け、イト君のスーツケースを突き飛ばした。一瞬、面倒なことになったなと思ったが、若者らはそのまま肩で風を切って夜の闇に消えていった。大きなトラブルに発展しなくて良かった。

※主観ですが、夜のモスタルは治安があまり良くなさそうでした。実際に、旅行者が暴行を受けたという報告もあるので、暗くなってからの外出は控えた方が良さそうです。

気を取り直して来た道を引き返し、バスターミナルに戻ると、宿の客引きの女性がきれいなアクセントの英語で話しかけてきた。既に泊まるところは決めてあると告げると残念そうな顔をしたが、「あなた達の宿はあっちよ」と大まかな方向を教えてくれた。さらに、「旧市街の石畳はかなりボコボコしているから、スーツケースを引いて歩くのは難しいかもしれないわね」と注意もしてくれた。

スタリ・モストはバス停から左の方向。橋の掛かるネトレヴァ川は、バス停の前の通りに平行して流れているので、川から離れないように気をつけながら、できるだけ明るい道を選んで歩いた。先ほどに比べると人通りは多いものの、街の雰囲気はどんよりしている。カフェや民家の軒下から立ち込めるタバコの煙のせいだろうか。2010年の時点でボスニアの失業率は約43%とのこと。厳しい現実が日没後の街に暗い影を落とすのかもしれない。

しばらく歩くと周囲の雰囲気が一変。ゴツゴツした石畳に東洋的なの雰囲気漂う洒落た建物。旧市街に入ったようだ。客引きの女性の言うとおり、石畳はかなりボコボコしていて、スーツケースのタイヤは役に立たない。スタリ・モストまであと100mほどだが、重たいスーツケースを持って歩くのは骨が折れる。石畳を迂回する道もあるようだ。

額に汗が滲んできたころ、パッと開けた家屋の先に見事なアーチ状の橋が目に飛び込んできた。スタリ・モストだ。遂にここまでやってきた。

つづく。

【INFO】 モスタルのバス停から、スタリ・モスト(Stari Most,「古い橋」) までの道のり
徒歩17分 / 1.4km